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札幌地方裁判所 平成5年(わ)1285号 判決 1997年6月13日

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件事案の概要

一  公訴事実の要旨

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、債務の返済等に窮し、その支払に充てるため、かねて入手していたその振出人欄に『札幌市《番地略》甲観光株式会社代表取締役B』と刻したゴム印(以下『社判』という)及びその名下に銀行取引印(以下『銀行印』という)を押捺済みのエイペックス株式会社(代表取締役B。平成五年三月一九日変更前の商号は甲観光株式会社。以下、変更前後を一貫して『甲観光』という)所有の手形帳一冊を使用して甲観光代表取締役B作成名義の約束手形を偽造して行使しようと企て、平成五年四月二〇日ころから同月下旬にかけて、同市《番地略》所在のカブトデコム株式会社(以下『カブトデコム』という)本店において、行使の目的をもって、ほしいままに、情を知らない同社取締役C(以下『C』という)をして右手形帳中五枚の手形用紙の金額欄に『三〇億円』、『四億円』、『一八億五〇〇〇万円』、『六億〇五〇〇万円』及び『五億四五〇〇万円』、振出日欄に『平成五年二月二五日』、支払期日欄に『平成五年八月三一日』、『平成五年九月三〇日』及び『平成五年七月三一日』と各記入させるなどして、甲観光代表取締役B作成名義の額面合計六四億円の約束手形五通(以下、右五通の約束手形を合わせて『本件手形』という)を偽造し、同年四月二二日ころから同年八月三〇日ころにかけて、前後四回にわたり、同市《番地略》共同信用組合(以下『共信』という)本店ほか二か所において、右手形が真正に作成されたものであるかのように装って、共信ほか二社に対する譲渡又は取立委任の目的で、共信審査部長Dほか三名に交付して行使した」というものである。

二  容易に認められる事実

検察官が右公訴事実(ただし、訴因変更前のもの)を掲げて被告人を起訴するに至るまでの経緯その他の背景事実のうち、本件各証拠により容易に認められる事実は、以下のとおりである。

(注 以下において、

(1) 各証拠に付した番号は、証拠等関係カードにおける請求番号であり、「甲」「乙」「弁」は、それぞれ「検察官請求分・甲号証」「検察官請求分・乙号証」「弁護人請求分」を示す。なお、証拠を摘示する際は、写しであってもその旨の記載を省略する。

(2) 日付等のうち平成四年九月一日から平成五年八月三一日までの間のものについては、同年の記載を省略することがある。

(3) 会社名のうち「株式会社」の部分、人の姓名のうち名の部分、及び、専務取締役・常務取締役の役職名のうち「取締役」の部分は、省略することがある。

(4) 消費税法施行後の請負契約代金額の記載は、断りのない限り、消費税込みの金額である。

(5) 第三回ないし第八回公判調書中の証人Bの各供述部分を「B証言」、第九回ないし第一三回公判調書中の証人Eの各供述部分を「E証言」、第一四回ないし第一九回公判調書中の証人Fの各供述部分及び同人の当公判廷における供述を合わせて「F証言」、いずれも証人であるG子・C・H・I・Jの当公判廷における各供述をそれぞれ「G子証言」「C証言」「H証言」「I証言」「J証言」という。

(6) 証拠からの引用部分に算用数字が含まれる場合、それを漢数字で記載する。)

1 被告人は、昭和四六年四月、兜建設を設立してその代表取締役に就任し、昭和六〇年に大友建業の吸収合併を経て(この際に「兜大友建設株式会社」と商号を変更)、昭和六三年九月、カブトデコムと商号を変更し、平成元年三月には株式の店頭登録を果たした。また、被告人は、昭和六〇年五月、ゴルフ場の経営を目的として、甲観光を設立した。このほか、兜建設が所有するビルの管理会社として設立した兜ビル開発、不動産取引の仲介を担当させるために設立した未来都市開発、買収して兜建設の子会社にした山王建設や、直接の資本関係はないもののカブトデコムの協力企業として土地の仕入れを担当していた山三西武地産・丸三昭和通商等の会社を合わせて、カブトデコムグループを形成した。

2 Bは、北海道交通安全対策事務局次長を最後に北海道庁を退職した後、被告人から、役所に対し折衝する役割を期待されて、昭和五五年五月に兜建設副社長として迎えられ、兜ビル開発の代表取締役を経て、昭和六二年四月に甲観光の代表取締役社長に就任した。また、Bは、兜大友建設の最高顧問を兼任し、カブトデコムグループの経営方針について話し合うために定期的に開かれるカブトデコム常務会の構成メンバーになった。

3 F(以下「F」という)は、北海道工業大学を卒業後、昭和五一年四月に兜建設に入社し、土木工事の現場監督を経て、昭和六二年一二月に兜大友建設の開発販売部長に就任し、昭和六三年四月、同社開発企画部(平成二年五月にリゾート事業部と名称を変更)の部長に就任した。

4 被告人は、昭和六二年三月にアメリカ合衆国のリゾート開発の視察旅行をした後、北海道虻田郡虻田町に保有するゴルフ場を中心とした地域に、ホテル、スキー場等を併設して、通年営業の大型リゾート施設「エイペックスリゾート洞爺」(以下「リゾート洞爺」という)を建設・運営する構想を立て、Fを同事業の責任者に指名するとともに、甲観光を事業主体に据えて、昭和六三年一〇月、リゾート洞爺の企画設計に着手した。

被告人は、リゾート洞爺に会員制度を採用し、会員権の販売によって調達した資金や甲観光の自己資金のほか、北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という)からの資金面でのバックアップを受けながら、拓銀との共同プロジェクトとしてリゾート洞爺事業を推進することにし、ホテル・スキー場等の建設用地取得費、建設・土木工事費、会員権販売手数料、租税公課、建中金利等を合計した全体事業費を六六五億円と設定した。

拓銀は、いわゆるバブル景気を背景に、被告人のリゾート構想に賛同し、平成元年一〇月にリゾート洞爺事業への参加支援を決定する一方、カブトデコムを始めとする道内の有力企業を育成して安定した金融取引を実現する「インキュベーター路線」を推進するための機関として、平成二年一〇月に総合開発部を創設し、Kを総合開発部の担当常務に、G(以下「G」という)を総合開発第一部の部長に、それぞれ就任させた。

他方、被告人は、甲観光の増資を繰り返し、同年九月までに資本金を七一億六五〇〇万円にしたが、リゾート洞爺事業により同社は開業後数年間赤字決算が予想されたため、カブトデコムの連結財務諸表に関連会社として甲観光を記載しないで済むように、甲観光の株式の一部を山三西武地産・丸三昭和通商などのカブトデコムと協力関係にある会社に保有させるなどして、カブトデコムの持ち株率は約二〇パーセントにとどめていた。

5 被告人は、リゾート洞爺建設工事の発注形態については、カブトデコムにゼネコンとしての元請利益を残すために、甲観光から一旦カブトデコムに発注し、そこからさらに鹿島建設を中心とする共同企業体等の下請に発注する形式を採ることにした。(なお、本件でいう「元請利益」とは、元請企業の純利益だけでなく、人件費・労災保険料・契約印紙等の経費を含んだ、注文主からの受注額と下請への発注額との差額である。また、以下において、単に「元請利益」ないし「工事代金」という場合には、リゾート洞爺工事のそれを意味する。)

そこで、甲観光は、カブトデコムに対し、昭和六三年一二月二七日付けで、一次一期工事のうちコンドミニアム新築工事(請負代金額一三五億円、工期同日から平成三年二月二八日まで)、一次二期工事のうちスキーセンタービル新築外工事(請負代金額三一億円、工期昭和六三年一二月二七日から平成四年二月二〇日まで)及び一次三期工事のうちロープウェー駅舎新築外工事(請負代金額三九億円、工期昭和六三年一二月二七日から平成四年一月三〇日まで)を、平成元年一一月二七日付けで、一次一期工事のうちホテル建築追加その1工事(請負代金額九七億八五〇〇万円、工期平成二年四月五日から平成四年九月三〇日まで)を、平成三年六月一日付けで、一次一期工事のうちホテル建築追加その2工事(請負代金額一四五億一七八五万円、工期平成三年六月一日から平成五年一〇月三一日まで)を、それぞれ発注し、請負代金額合計は四四八億〇二八五万円になった。

なお、右契約が引用している四会連合協定工事請負契約約款には、工事の追加・変更、工期の変更、物価の変動等により請負代金額が適当でなくなった場合には、請負人が発注者に対しその増額を求めることができる旨を定めた規定がある。

6 被告人は、リゾート洞爺会員の募集を容易にする目的で、拓銀の関連会社であるたくぎん保証との間で、甲観光がリゾート洞爺会員に対して負う預託金返還債務に関する保証を委託する契約(保証極度額五三二億円、保証料が毎月末日の保証金残高につき年〇・四パーセント)を、平成三年一月四日付けで甲観光に締結させた。また、右保証契約に基づきたくぎん保証が預託金を支払うことになった場合に甲観光が負担する求償債務について、被告人がたくぎん保証に対し個人で保証した。

なお、同年二月一日から平成五年三月末までの間に、甲観光からたくぎん保証に対して支払われた保証料の合計は一億九二五七万八六五七円だった。

7 被告人は、リゾート洞爺の会員募集の形態については、カブトデコムが、会員権の販売代理店として販売した代金額から販売手数料一五パーセントを差し引いた金額を、買取代金として甲観光に支払う形式を採用した。

平成二年三月から会員募集を開始し、販売単価二〇〇〇万円の第一次賛助会員権二四〇口と同二五〇〇万円の第二次賛助会員権一八〇口をほぼ完売した。

8 被告人は、平成二年ころ、広く道内外からリゾート洞爺へ集客するための札幌市内の拠点として、リゾートホテル「エイペックス札幌」を建設する構想を立て、山三西武地産との間で、平成三年一月三一日付けで、エイペックス札幌新築工事請負契約(請負代金額一二三億六〇〇〇万円、工期同年九月一日から平成五年一二月三一日まで)を締結した。

その後、カブトデコムは、平成三年九月一日付けで、右契約を合意解除し、同月二日付けで、甲観光との間で、エイペックス札幌新築工事請負契約(請負代金額二一一億一五〇〇万円、工期同月一日から平成五年一二月三一日まで)を締結し、同月中に右請負代金額の前払い金(以下「前渡金」という)として一〇〇億円を受け取った。

9 平成二年四月に大蔵省銀行局長通達によるいわゆる不動産融資に対する総量規制が実施された後、しばらくすると徐々にその影響が出始め、カブトデコムが建築保有する不動産物件の売行きが次第に変化するようになり、また、土地の仕入れを担当していた山三西武地産等が金融機関から直接融資を受けることが難しくなったため、カブトデコムが借り入れた資金を又貸しするようになった。そのため、カブトデコムは自社の不動産買取代金の支払や下請への建設工事代金の支払手形の決済のほか、グループ企業の借入元利金の返済に追われ、拓銀等の金融機関から支払資金の借入を重ねた。

10 このような状況下にあって、拓銀は、カブトデコムグループの資金需要を圧縮するため、平成三年末ころから、カブトデコムに対し、計画中の各開発事業を見直し、推進する事業と凍結ないし中止する事業とに分けて資金繰りを検討するように求めた。被告人は、エイペックス札幌の建設着工を見合せ、凍結物件として拓銀に報告していたが、カブトデコム・甲観光の内部では、建築条件付きで第三者に売却することによって資金を調達して建設する道を模索しながら、札幌市に対する建築許可申請等の手続きを進めていった。

平成四年三月、カブトデコムは、前渡金一〇〇億円のうち三〇億円を甲観光に返還したものの、その一方で、同月二五日付けで、エイペックス札幌追加工事請負契約(請負代金額三六億〇五〇〇万円、工期同年四月一日から平成五年一二月三一日まで)を締結した。

11 甲観光は、リゾート洞爺の事業主体に据えられていたとはいえ、平成四年初めころまでの営業実態は、代表取締役社長B、取締役総務部長E(以下「E」という)以下数名の従業員が北海道内の二つのゴルフ場を管理運営する会社にすぎず、リゾート洞爺事業の企画、下請工事発注、会員権販売、甲観光・カブトデコム間とカブトデコム・下請間の出来高払いによる工事代金支払額の決定とその支払等は、Fがカブトデコムリゾート事業部を率いて行っていた。

被告人は、平成三年に将来リゾート洞爺の運営に当たる甲観光の株式を店頭登録する方針を決め、Eにその準備作業に当たらせるとともに、リゾート洞爺開業及び株式公開に向けて甲観光の経営体制を強化するため、平成四年二月から三月にかけて、F以下約二〇名のリゾート事業部スタッフの大半を甲観光に移籍させ、Fを引き続き責任者としてリゾート洞爺事業に従事させるために、同社の取締役副社長に就任させ、同年六月二九日に代表取締役に就任させた。

12 甲観光は、Fの入社前から「代表取締役B」名義で共信に当座預金口座を開設し、「札幌市《番地略》甲観光株式会社代表取締役B」と刻印された社判及び銀行印を使用して手形取引をしていた。

甲観光の手形は、被告人からカブトデコム社員を通じてEに指示が出された上で、カブトデコムグループの資金繰りを目的とした借入のための振り出されることが多かったが、平成四年三月末には、カブトデコムへの工事代金支払のために、額面四億円の手形が振り出されたこともあった。

九月一日に甲観光は本店所在地を札幌市中央区《番地略》から同区《番地略》に移転し、同月中に共信に本店住所の変更届を提出した。

甲観光の本店移転後は、七階に総務課・財務課・経理課が配置され、同社の実印は、Eが総務課の金庫に保管していた。また、同社の銀行印と旧住所・新住所の各社判は、印箱に入れた状態で、同社財務課課長Lと一〇月に同課長代理に就任したI(以下「I」という)がその鍵を管理する財務課の金庫に保管されていた。勤務時間中は、LかIが、右金庫から印箱を取り出していずれかの机上に置いていた。同社の手形帳は、常に財務課の金庫に保管されていた。

13 同年四月ころ、拓銀は、会員権の販売状況、資金の調達・運用状況等を調査させるため、総合開発部主任調査役M(以下「M」という)を甲観光に派遣した。また、平成四年度のカブトデコムの資金需要を検討し、カブトデコムの保有物件の売却を見込んだ上で、当年度の融資の総枠を五〇〇億円と決定した。

同年六月末、カブトデコムへの融資に関する担当役員が、K常務からN常務に交代した。

14 平成三年から販売を開始した販売単価三五〇〇万円の第一次正会員権八八〇口は、平成四年夏に至っても完売できなかったため、販売単価四八〇〇万円で五五〇口の販売を予定していた第二次正会員権については全く販売の見込みが立たなくなり、リゾート洞爺の建設資金が不足する状況に陥った。また、九月末までにカブトデコムが下請に発注したリゾート洞爺建設工事の請負代金額合計は約三八三億円になり、元請契約の請負代金を増額しない限り、元請利益が受注額の二〇パーセントを切ることが確実な状況になった。

カブトデコムは、保有物件の売却が思うように進まなかったことから、同年八月ころには拓銀の前記融資枠五〇〇億円をほぼ使い果たし資金繰りに窮するようになり、定期預金を解約して九月七日の支手決済に充てたり、一〇月五日の支手決済のための資金を直前にたくぎんファイナンスから借り入れるなどしていた。

15 一〇月ころ、拓銀総合開発部は、カブトデコムグループの資金収支等に関する調査結果をまとめ、カブトデコムの倒産は不可避と判断する一方で、拓銀が共同プロジェクトとして深く関わってきたリゾート洞爺事業は完遂を目指すこととし、そのためのプロセスとして、タイムリミットと設定した三月末までは、カブトデコムへの対応を含め、対外的には同社の再建の道を探るというスタンスを示し、資金需要を極力圧縮しながら、カブトデコムの倒産を回避し、その間に、甲観光とカブトデコムグループとの間の債権債務関係を整理し、甲観光をカブトデコムグループから切り離して拓銀の管理下に置く方針を固め、一〇月二六日の経営会議(常務以上の拓銀役員で構成される日常業務に関する意思決定機関)に諮り、その了解を得た。

16 同月一五日、カブトデコム本社において、拓銀総合開発部のG・M・主任調査役O(以下「O」という)、F・被告人・カブトデコム副社長P(以下「P」という)・同社取締役総合企画室室長H(以下「H」という)が、リゾート洞爺工事代金の支払に関する話し合いをした。

席上、Mが、九月末出来高払い分の工事代金の概算額八五億円を中心とする甲観光のカブトデコムに対する債務を、前渡金残額七〇億円を含めたカブトデコムの甲観光に対する債務と相殺することを申し入れたが、被告人はこれを拒否した。また、GないしMが、以後の工事代金のうち元請利益分の減額を求めたが、被告人が、受注額の二〇パーセントの元請利益をもらう旨反論したため、話し合いは平行線のまま終わった。

17 一〇月二三日ころ、被告人は、カブトデコムの二〇パーセントの元請利益を確保するため、Hに対し、九月末に契約締結日を遡らせて、追加工事契約名目の請負代金増額契約をFとの間で締結するように指示した。

18 一〇月二八日、拓銀のQ副頭取・N常務・Gが、被告人とPを拓銀本店に呼び出し、拓銀からカブトデコムへの要請として、開発事業を当面の間凍結すること、海外事業からの撤退や保有物件の販売努力により投下資金の回収を図ること、リゾート洞爺事業は推進すること、一一月以降の資金需要は支手決済などの必要最低限のものに抑えること、カブトデコム及び同グループ会社の手形振出を原則停止すること、従来の事業概況表による月単位の資金繰り報告を改め、拓銀がカブトデコムから毎日必要最低資金を記載した日繰り表を受け取って融資金の支出先を事前に確認することなどを説明したのに対し、被告人は反論しなかった。被告人が退席した後、C・H・R開発事業部長・S財務部長に対しても同様の説明がなされた。

(なお、被告人は、当公判廷において、右会談ではカブトデコムが保有する不動産を早急に外部に販売することを求められた話を聞いただけで自分は帰ったこと、カブトデコム社員からも拓銀との会談の報告を受けていなかったことを供述するが、カブトデコムが拓銀に提出した一一月二五日付け「現状のご報告とお願い」と題する書面(甲一五二号証二四三頁)において、不足資金の融資、約定返済の延期、再借入等の金融支援の依頼をしていること、右書面に添付された「今後の経営施策について」と題する書面(同号証二四四頁)で、カブトデコムの不況対策の一つに、予定している開発事業計画の原則中止・延期を掲げていること、一〇月二八日の話し合いの内容についてのHのメモ内容(甲一五五号証二六三頁)には、拓銀からの前記要請に関する記載があること、被告人の腹心の部下であるHが拓銀との重要な会議について被告人に報告しないことはおよそ考えがたいことに照らし、不自然不合理であって信用できない)。

19 一一月二日、Fは、Eに指示して、甲観光の手形帳の残り七枚の手形用紙のうち、表紙に近い六枚の用紙の振出人欄に甲観光の旧住所の社判と銀行印を押捺し、同月四日ころ、被告人の指示を受けたHに、右手形用紙を手形帳ごと渡した。

その後、四月までの間に、Fは、前記手形用紙六枚の欄外及び七枚目の手形用紙の振出人欄右横と欄外に甲観光の実印を押捺した。

20 一一月中旬ころ、九月末請求分の工事代金が、六八億九九七六万九〇五五円と確定したが、甲観光は、右代金をカブトデコムに支払わず、一二月ころ、エイペックス札幌新築工事前渡金残額七〇億円等と相殺する旨の一一月三〇日付け相殺合意書案を作成した。

21 同月二七日、カブトデコムが平成四年九月期の中間決算を発表し、拓銀に金融支援を頼んだことを明らかにした。同日、拓銀は、マスコミにカブトデコムへの金融支援を発表し、その中で、リゾート洞爺完成のための必要資金を融資すること、カブトデコムと同グループ企業に対し、一一月以降元本返済猶予と短期プライムレート水準への貸出金利減免を実施すること、他の金融機関に対して一二月以降同様の措置を取るように協力依頼することを表明した。

22 一月一八日ころ、被告人が、「再構築計画」(甲一二九号証資料二〇)と「大型プロジェクト収支計画表」(同号証資料二一)を拓銀に提出し、エイペックス札幌の建設用地を建築条件付きで第三者に売却する案を提示したが、拓銀は同意しなかった。その後、三月一一日ころ、甲観光が、札幌市に対し、エイペックス札幌の建築許可申請の取下届を提出した。

23 二月から三月にかけて、拓銀は、被告人に対し、甲観光については、Bを更迭すること、拓銀からの役員派遣を受け入れること及び商号を変更すること、兜ビル開発については、拓銀に過半数の株式を保有させること、拓銀からの役員派遣を受け入れること及び商号を変更することを求めた。

この要求に対し、被告人は、Bを平成五年九月末まで社長にとどめることを要求し、これを拓銀に認めさせたものの、それ以外の要請は、甲観光・兜ビル開発・アワジ商会・もりに商事の拓銀に対する借入債務についてのカブトデコムと被告人個人の各保証を解除してもらうことを条件に受け入れることにした。その後、拓銀は、アワジ商会の借入金に関する被告人個人の保証を除くカブトデコムと被告人個人の各保証について解除に応じた。

24 三月一九日、甲観光が「エイペックス株式会社」と商号を変更し、同日付けで、カブトデコム側からT(以下「T」という)・U(以下「U」という)、拓銀側からV(以下「V」という)・W(以下「W」という)の計四名が、新たに取締役として選任され、Vは代表取締役副社長に、Wは専務に、それぞれ就任した。B・F・Eは留任した。

25 同月二五日、兜ビル開発が「リッチフィールド株式会社」と商号を変更し(以下、変更前後を一貫して「兜ビル開発」という)、同日付けで、拓銀から派遣されたX・Yが兜ビル開発の取締役に加わった。同月二七日、兜ビル開発が第三者割当により二〇〇〇株の新株を発行し、拓銀グループ企業であるエイチ・シー・ビーとオフィスフロンティアが新株を引き受けた結果、拓銀グループが兜ビル開発の過半数の株式を保有することになった。

26 同月下旬、拓銀のN常務が被告人に対し、リゾート洞爺以外の開発物件に関する下請への支払資金とカブトデコムグループ企業のノンバンクに対する利息の支払資金の融資を停止すると通告した。このため、被告人は、一旦は甲観光の手形と兜ビル開発の手形を下請への支払資金に充てる方針を決めた。

27 ところが、四月一〇日ころ、共信理事長Zが被告人に対し、共信がカブトデコム株の購入資金としてカブトデコム関連の会社・個人に融資していた貸付金の返済を強く求めたため、共信とカブトデコムとの間で何度も話し合いが持たれた結果、被告人が、共信に対し、甲観光の手形と兜ビル開発の手形を右債務の返済の一部に充て、残りの債務の担保としてカブトデコムが保有する会員権を差し入れることを約束した。

28 同月二〇日ころから五月下旬ころまでの間に、被告人は、Cに指示して、一一月にFから記名捺印の上受け取っていた甲観光の手形用紙のうち五枚に金額・振出日・支払期日・受取人をそれぞれ記入させ、額面合計六四億円の本件手形を完成させた。

29 四月二二日ころ、Cが、被告人の指示を受けて、額面三〇億円・四億円の本件手形を、兜ビル開発振出名義の額面二〇億円・一二億五〇〇〇万円・一億円の各手形とともに共信本店に持参し、共信常務理事A1(以下「A1」という)に渡した。

同月二八日ころ、カブトデコムのB1開発事業部長が、Hを通じて被告人の指示を受け、カブトデコム本店において、額面一八億五〇〇〇万円の本件手形を、兜ビル開発振出名義の額面一億円の手形三枚及び額面七〇〇万円の手形一枚とともに、センチュリーエステートのC1部長に渡した。

五月一九日ころ、被告人が、東京のホテルセンチュリーハイアットにおいて、額面六億〇五〇〇万円の本件手形を、りんかい建設のD1常務を介してエンドリックスの代表取締役E1に渡した。

(額面五億四五〇〇万円の本件手形は、八月三〇日ころ、共信本店に取立委任のため交付された。)

30 五月二八日、被告人が、パームヒル[2]伏見において、BとFに本件手形のコピーを示し、甲観光で経理処理をするように指示した後、カブトデコムが甲観光にリゾート洞爺のホテル棟「ホテルエイペックス洞爺」を引き渡した。

同日、被告人は、N常務に、本件手形のコピーを示し、本件手形が振り出されていることを明らかにした。この後、N常務・Gが、V・Wに社内調査を指示し、事実調査を開始した。

31 六月二日、甲観光取締役会が取締役全員出席の上開催され、現任取締役全員を再選すること、公認会計士事務所を営むF1(以下「F1公認会計士」という)を会計監査人に選任すること、エイペックスインターナショナルとの合併後にFを含む副社長三名が部、課、事業所ごとの担当制をとること(Fは総務・人事・事業・運営・ロイヤルクラッシック札幌ゴルフ場を担当)を決めたが、翌三日、Vから会計監査人候補についての再審議の申し出があり、甲観光取締役会が開催された結果(FとTは欠席)、センチュリー監査法人が適格である旨承認可決した。

32 Bが、同月七日のカブトデコム常務会に出席し、リゾート洞爺の竣工式・オープニングパーティーと甲観光株主総会の開催日について説明し、同月一四日のカブトデコム常務会で、リゾート洞爺が無事オープンしたことを報告した。

33 同月一七日ころ、A1が、甲観光から共信に同月八日付けで手形用紙の紛失届が出されたことに関する事情を聞くために被告人とCを共信本店に呼んだところ、被告人がBを呼び出してその真意を質した。

その後、Cが、A1に対し、本件手形の振出を確認する旨の合意書の原稿をファックス送信し、立会人としての捺印を求めたが、A1は、金融機関の役員としての立場上、捺印を断った。また、CがBに対し、右合意書の原稿を送ったが、Bは押印しなかった。

34 同月一八日、甲観光株主総会において、取締役全員が再選され、取締役会において、B・V・Fが代表取締役に選任された。

35 同月二五日ころ、被告人は、カブトデコム再建案を拓銀に提出し、エイペックス札幌新築工事前渡金残額七〇億円を三年後から分割返済することを表明した。

これに対し、拓銀は、同月二八日ころ、本件手形及び兜ビル開発の手形について解決に向け努力することを表明する一方、甲観光と兜ビル開発の株式を拓銀グループに売却すること、甲観光と兜ビル開発の役員を拓銀に指名させること、共信に担保提供した会員権を含むカブトデコムが保有している会員権を拓銀に入担すること、カブトデコムが甲観光と兜ビル開発から受け取った手形用紙の未使用分を両社に返却することを要求したが、被告人はこの要求を拒否した。

その後、拓銀総合開発部が本件手形への対応策を協議した結果、偽造されたとして甲観光に被告人を告訴させることを決定し、拓銀経営会議でも了承された。

36 七月二日ころ、甲観光がカブトデコムに対し、エイペックス札幌新築工事契約を民法六四一条に基づき解除し、前渡金残額七〇億円の返還を求めた。

37 同月四日ころ、被告人は、甲観光役員のうちB・V・Wの三名を除く、F・E・U・Tの四名を呼び集め、BとVを代表取締役から外し、Fを社長に就任させる取締役会決議をする密談をしたが、翌日にUがBに密告したために実現しなかった。

Fは、同月五日ころ、架空工事を装って工事代金相当額の金員を甲観光から詐取したとして、甲観光の代理人弁護士から辞任勧告を受け、同月七日ころ、一身上の都合を理由に、甲観光の取締役と代表取締役を辞任する旨の届けを甲観光に提出した。

38 同月一二日ころ、甲観光取締役会は、拓銀がカブトデコムから担保提供を受けていた甲観光株式三〇万一四〇〇株について、譲渡担保権を行使して取得したことを承認した。

39 同月一三日ころ、甲観光が、被告人に本件手形を偽造されたとして、札幌地方検察庁に告訴した。

40 八月六日ころ、甲観光がカブトデコムに対し、前渡金残額七〇億円の返還債務とリゾート洞爺工事代金債務を対当額で相殺する旨の通知をした。

41 平成五年一二月二六日、札幌地方検察庁検察官は、前記公訴事実(ただし、訴因変更前のもの)を掲げて、被告人を起訴した。

第二  本件の争点

一  双方の主張

被告人は、当公判廷において、本件手形は、一一月上旬に甲観光代表取締役であるFからカブトデコム代表取締役である被告人に対し、リゾート洞爺工事代金の支払のために白地手形として振り出され、本件手形のうち、額面三〇億円・一八億五〇〇〇万円・六億〇五〇〇万円・五億四五〇〇万円の合計六〇億円分の手形については、リゾート洞爺工事残代金の一部の支払を受けるため、額面四億円の手形については、リゾート洞爺会員に対してたくぎん保証が甲観光に代わって預託返還金を支払うことになった場合に甲観光が負担する求償債務について、被告人がたくぎん保証に対し保証していたことに対する保証料二年一か年分の支払を受けるため、被告人が四月に白地補充権をそれぞれ行使して完成させたものであるから、被告人が本件手形を偽造した事実はない旨を供述し、弁護人も、これを踏まえて、一一月上旬に、甲観光の手形振出権限を有するFが、被告人に対し、金額九〇億円の枠内で、金額・支払期日・振出日の記入を一任する内容の白地補充権を付与して、白地手形として本件手形を振り出し、四月に、被告人が、右白地補充権を行使して、本件手形に金額等を記載したものであるから、手形作成名義の冒用はなく、被告人が本件手形を偽造した事実はないから、結局被告人は、本件有価証券偽造・同行使のいずれについても無罪である旨を主張する。

これに対し、検察官は、<1>Fには本件手形の振出権限がなかったこと、<2>Fが一一月上旬に被告人に手形帳を渡したことは、単なる事実行為にすぎず、白地手形の振出ではないことを前提に、四月当時、被告人には本件手形を作成する権限がなかったから、被告人の本件手形の作成・交付は有価証券偽造・同行使に該当する旨主張する。

二  主要な争点

本件では、前記のとおり、一一月上旬に、甲観光代表取締役副社長であったFが、甲観光の手形用紙六枚に同社の社判と銀行印を押捺した上で、手形帳ごとHを通じて被告人に渡したこと、四月二〇日ころから五月下旬ころまでの間に、被告人がCに指示して右手形用紙のうち五枚の空欄に金額等を記入させて手形として完成させたことは明らかであるので、検察官・弁護人双方の主張を前提にして、被告人が本件手形を完成させたことが偽造に当たるか否かを判断するには、<1>Fに本件手形の振出権限があったか、<2>一一月上旬にFが被告人に甲観光の手形帳を渡した際に、Fに手形振出意思があったかという二点が主要な争点となる。

三  取調べた証拠の特徴

ところで、本件は、カブトデコムの社長であり、カブトデコムグループの総師であった被告人が、自ら設立したグループ企業であった甲観光の手形を偽造したとして、同社に告訴されたことが捜査の端緒となった事件である。甲観光は、現在では、カブトデコムグループを離れて拓銀の系列下に入り、拓銀・甲観光側と被告人及び被告人が現在会長職を務めるカブトデコム側とが、本件と関連する係属中の民事訴訟等で利害対立する状況にある。

本件においては、現在も甲観光に在籍するB・E・I、拓銀社員であるG、カブトデコムに在籍するC・H、甲観光とカブトデコムの両社に在籍していたF及び国際証券社員であるJが証人として供述しているが、Jを除く右各証人は、現在の所属や過去の経歴から、カブトデコム側か甲観光側の一方又は双方に強く利害関係を有する者であり、意図的にせよ、無意識的にせよ、被告人にとって有利にあるいは不利に事実を歪曲して証言をする可能性が一般的には認められ、それゆえ、右各証人の公判供述の全般的信用性に高い評価を与え、全体としてその証言を採用することは困難である。

他方、本件では、検察官・弁護人双方から、C・H・E等の事実関係者が、本件手形作成前後にわたり、被告人や拓銀との話し合いや日常業務の内容等を書き綴ったノート類やカブトデコム・拓銀・甲観光内部で作成された文書類などの客観的証拠が公判廷に多数提出されている。

したがって、前記各証言の採否を決するに当たっては、各供述部分ごとに、客観的に存在する物証を手掛かりにして、それが真実を述べたものか否かを慎重に吟味して、個別的信用性を判断する必要がある。

そこで、以下、順次証拠に沿って検討を進めることにする。

第三  Fの手形振出権限の有無

一  検察官の主張

Fは、カブトデコムから甲観光副社長として同社に移籍した後、平成四年六月二九日に同社代表取締役に就任し、翌年七月上旬に辞任するまでの間、その職に就いていたが、検察官は、一一月から四月ころまでの間、甲観光株式会社規程集(甲一二六号証)中の職務権限規程が甲観光において効力を有しており、右規程によりFの代表権が内部的に制限され、Fには本件手形を振り出す権限がなかった旨を主張するので、右主張の当否について、以下検討する。

二  社内規程集の状況

当公判廷において証拠として取調べられた社内規程集の体裁をした文書には、甲観光株式会社規程集(甲一六七号証。以下「規程集[1]」という)、甲観光株式会社規程集(甲一二六号証。以下「規程集[2]」という)、甲観光株式会社就業規則綴(甲一六八号証。以下「規程集[3]」という)、甲観光株式会社規程案集(弁一七〇号証。以下「規程集[4]」という)及び就業規則綴(甲一一三号証。以下「規程集[5]」という)があるが、本件当時甲観光に所属していた四名の証人のうち、BとEは、規程集[5]の職務権限規程が平成四年六月一日に施行された旨、Iは、規程集[2]の同規程が同日施行された旨、Fは、職務権限規程の案はあったが施行された事実はない旨、相互に齟齬する内容の証言をしている。

ところで、この争点に関しては、甲観光の社内規程の整備作業に携わった国際証券のJが、証人として当公判廷に出廷し、詳細な供述をしている。

そこで、まず、J証言の信用性を、客観的証拠に照らして吟味することにする。

三  J証言の内容と全般的信用性

1  J証言の内容

Jは、当公判廷において、甲観光の店頭登録に向けた社内規程の整備作業について、以下のとおり供述する。

<1> 甲観光の店頭登録準備作業は、平成三年一〇月にJが甲観光側の担当者と初めてのミーティングをしたときに始まった。この当時、被告人は、平成五年三月決算期を基準に店頭登録申請する方針を決めていた。

右準備作業の主要部分を占めるのが、社内規程の整備であり、以後一か月に一回程度ミーティングをする予定でいたが、平成三年一二月から株式公開に備えた合併作業が入ったため、平成四年六月ころまで社内規程整備作業に入れなかった。

<2> 平成四年七月ころ、Jが、店頭登録に必要な社内規程をリストアップして、甲観光に存在するか否かを確認し、欠けている規程を作成するスケジュールを立てる相談をし、このときから規程整備が実際に始まった。その具体的な作業としては、初めに社内に現存する規程を出してもらうのであるが、就業規則のように法律で要求されている規程は揃っていても組織規程・取締役会規程・職務権限規程等の会社の骨格となる基本規程が揃っていないケースが多く、その場合には当該規程の作成を依頼することになる。甲観光の場合も、定款・就業規則・ゴルフ場事業に関する規程はあったが、これ以外の職務権限規程等の規程はなかったので、他の会社の基本規程を参考にして甲観光側で作るように依頼した。

その後、甲観光で作成された規程を順次Jが受け取り、チェックした上で次回のミーティングで修正点を指摘していく形式で、規程整備作業を進めた。Jが甲観光で作成された規程を初めて受け取ったのは、一回目のチェックをした九月一一日の一か月前ころだった。

<3> 規程整備一覧表(弁一七二号証)は、Jと平成四年五、六月から助手として携わったG1子が作成した表である。

右一覧表中の「第一回チェック」欄は、Jが甲観光から事前に受領してチェックしておいた規程について、甲観光の担当者に変更するポイントを説明した日、すぐ右側の「訂正版受領」欄は、甲観光が第一回チェックに基づいて訂正したものをJが受け取った日、「第二回チェック」欄は甲観光から渡された訂正版をJが改めてチェックした上で説明した日、その右側の「訂正版受領」欄は甲観光側で第二回チェックに基づいて訂正したものをJが受け取った日をそれぞれ記入したものであり、規程として完成したものについては、「備考」欄に「済」という印をつけた。

<4> 規程集[4]の職務権限規程は、二度目の訂正版として、Jが三月一九日に受領したものであり、三月の段階では作成途上だった。

第二回チェックで指導した職務権限規程本文の専務の項の新設や別表「職務権限事項」(以下「別表」という)における取締役会の項の新設、部長の部署名の削除が規程集[4]ではなされているので、規程集[4]の職務権限規程は規程集[2]の同規程をバージョンアップしたものである。また、第二回チェックの際に、社長に権限が偏りすぎると、すべての決裁を社長がしなくてはならないことになるので、金額に応じて権限を分けるように指導した。

規程集[5]の職務権限規程に、規程集[4]へのバージョンアップ前の規程集[2]と同内容の別表が付いている理由はわからない。

<5> 規程集[4]の職務権限規程の一五条には、「この規程は平成四年六月一日から実施する」と書いてあるが、当初店頭登録申請を予定していた平成五年三月決算期を基準にして、店頭登録申請に必要な運用実績を作るためには、三月から逆算して平成四年六月に規程が実施されていなければならないので、そのように記載された。Jとしては、平成四年夏過ぎころには、規程整備作業の遅れから平成五年三月決算期を基準に店頭登録申請することは無理とわかっていたが、甲観光が正式な延期決定をしなかったので、平成五年三月決算期を基準に店頭登録申請するという前提で実施日を記載したままになっていた。

規程整備一覧表の「実施日」欄は、実際の施行日ではなく、規程中の実施日を引き写したものにすぎない。

<6> 規程集を運用するには、会社内部の取締役会で決裁する手続が必要であると指導している。国際証券の店頭登録審査部門では過去一年間の取締役会議事録もチェックする。

一〇月三〇日から三月までの間に、甲観光が職務権限規程を取締役会の決裁にかけた、あるいは、その旨の取締役会議事録があるという報告は受けていないし、甲観光から実際に職務権限規程が運用されているという報告を受けたこともない。また、Jの社内規程の修正意見に対して、実際にこれで運用しているので変更は困るなどと甲観光側から言われたことはなかった。

三月下旬から四月中旬にかけてのころ、国際証券側の担当者がJからH1に変わったが、その後一切店頭登録準備作業は進んでいないとH1から聞いた。

2  J証言の全般的信用性

Jは、国際証券公開引受部在籍中に、甲観光の日本証券業協会の店頭登録の準備を指導する業務に携わった者であるが、同人はカブトデコム・拓銀・甲観光のいずれとも利害関係を有さず、かつ、被告人その他の本件関係者と個人的な繋がりを持たないという点で中立性の高い証人であり、その証言態度も、会社の業務の一環として甲観光の店頭登録作業に関与した立場から、主観的判断を控え、自己の体験した事実をありのままに伝えようとする態度が顕著である。また、その供述内容は、極めて詳細かつ具体的で、前後の脈絡も十分に保たれている上、検察官による反対尋問でも全く崩れていない。

したがって、J証言は、全般的に信用性が高いといえる。

四  客観的証拠の分析とJ証言の個別的信用性

1  Eノート

Eの備忘録二冊(一九九二年版・弁一二七号証と一九九三年版・弁一二八号証。以下、両者をまとめて「Eノート」という)には、甲観光の店頭登録準備作業の予定や国際証券との打ち合わせ内容が記載されているところ、右Eノートは、甲観光総務部長であるEが業務の過程でその都度仕事の予定あるいは実際の出来事について記載していた備忘録であり、作為の入る余地がほとんどないことから、その信用性は高いといえる。

Eノート中の店頭登録準備作業に関する記載部分を見ると、平成四年一月一三日付けの「合併会社契約 国際証券於」という記載から、同年五月一九日付けの「国際J氏 M&A」という記載までは、「合併」「M

A」という言葉とともに、「国際証券」「J」という名称が併記された部分が連続していること、次いで、同月二九日から同年六月二六日までの間は、「JAFCOセミナー『公開準備の進め方』『組織規程の整備』E I1」等、甲観光の経営コンサルタントであったF1公認会計士が所属する監査法人日本合同ファイナンス(JAFCO)が開催した店頭登録準備のためのセミナーにEらが出席していたことを示す記載が続いていること、その後、同年七月一〇日付けで「国際証券 J、G1子さん」「規程について 国際でリストUP 担当者、スケジュール検討」などという、店頭登録に向けて整備すべき規程をリストアップして、規程整備のスケジュールを立てたことを示す記載部分を皮切りに、九月一一日付け「国際証券 J氏、G1子」等、助手のG1子を伴ってミーティングを行ったことを窺わせる記載が連続し、五月以降は「J」の名前が消え、同月一四日付けで「公開時期H九/三を目度にする」、同月二〇日付けで「国際証券H1氏連絡」と記載されていることが認められ、Jが証言している規程整備の経過と極めてよく一致している。

2  甲観光取締役会議事録及び規程整備一覧表等

また、捜査報告書(甲五号証)中の甲観光取締役会議事録によれば、甲観光取締役会は、昭和六〇年五月一日から平成五年八月三日までの期間中に社内規程に関する承認決議をしていないことが認められ、J証言(<6>)を裏付けている。

さらに、社内規程の整備過程を示す書面として、規程整備一覧表と「規程名全体を通して」で書き始まる書面(弁一七一号証。以下「修正意見綴り」という)があるが、これらは、国際証券がその業務の一環として行った甲観光の店頭登録準備作業の過程で作成・保管していた書面であり、作為の入る余地がほとんどないこと、規程整備一覧表に各規程のチェック日及び訂正版受領日として記載されている日付けがEノート中で「国際証券J」などと記載された部分の日付けとほぼ一致していること、修正意見綴り中で、修正が必要と指摘された文言や修正された後の文言にそれぞれ対応する規程文言が、規程集[1]ないし[5]に存在すること、修正意見綴りの各頁の右上欄に記入してある日付けと規程整備一覧表中のチェック日の日付けが一致していること、規程整備一覧表において、国際証券が各規程を受領したとされる最後の日付け(例えば、組織規程・職務権限規程では三月一九日、業務分掌規程では一〇月三〇日、就業規則・社員給与規程では一二月一一日等)や「済」の印の有無が、規程集[4]の各規程の表紙に記載された日付けや「済」の印の有無と一致していることなどの各事実に照らせば、規程整備一覧表と修正意見綴りの信用性は高く、前記J証言の信用性を強く支えているということができる。

3  各規程集の作成順序及び作成時期

(一) 各規程集の提出経過

規程集[1]ないし[3]及び[5]は甲観光から提出を受け検察庁が領置したものであり、また、規程集[4]は、国際証券が店頭登録準備作業の過程で甲観光から受領した書類をファイルしたものであり、いずれも保管中に作為の混入する可能性はほとんどないことから、右各規程集が甲観光から検察庁ないし国際証券に提出された時点で甲観光に存在していたことは明白であるが、前記客観的証拠及びJ証言を踏まえて、各規程集を比較検討すると、以下の事実が認められる。

(二) 組織規程・業務分掌規程

まず、職務権限規程と関連がある組織規程と業務分掌規程について検討する。

規程集[1]の組織規程と業務分掌規程では、各表紙に「組織規程案」「業務分掌規程案」という文字が一旦印刷された上で、そのうちの「案」の文字が修正液で消されていること、規程集[1]の右各規程の実施欄には「年 月 日」という不動文字が印刷され、実施年月日を示す数字が空欄の状態にあることから、規程集[1]の同規程は、規程集[2]以下の同規程よりも早い時期に作成されたことが認められる。そして、組織規程と業務分掌規程の第一回チェックが九月一一日に行われたことが規程整備一覧表・Eノート等の関係証拠から認められるところ、修正意見綴り中の同日付け修正意見(弁一七一号証三、四頁)が指摘する箇所が規程集[1]の同規程中にすべて存在することから、規程集[1]の組織規程・業務分掌規程は同日に行われた第一回チェックの対象とされた規程であることが推認できる。

規程集[3]と[4]の業務分掌規程は同一内容であるが、右規程には前記修正意見がすべて反映されていること、規程整備一覧表で訂正版受領日が一〇月三〇日とされていることから、右規程は同日に国際証券に提出された訂正版であることが推認できる。また、規程集[4]の組織規程は、前記修正意見がすべて取り入れられていること、規程整備一覧表で訂正版受領日が三月一九日とされていること、右規程の一頁目の余白に「九三・三・一九」と記載されていることから、右規程が同日に国際証券に提出された訂正版であることが推認できる。

これに対し、規程集[2]の組織規程・業務分掌規程は、規程集[1]の同規程の明白な誤記が一部訂正されるなど、前記九月一一日付け修正意見が指摘する問題点の一部が解消されているものの、訂正されていない問題点が含まれていることから、規程集[1]の同規程を国際証券に提出した後、同日の第一回チェック以前に、甲観光側で自主的に訂正されたものであることが推認できる。

規程集[5]の組織規程では、規程集[4]の同規程で設けられていた支店がなくなり、営業所が設置されていること、附則一条実施欄に平成五年一〇月二五日に改訂された旨の記載があることから、規程集[4]の組織規程を改訂したものであることが推認できる。

(三) 職務権限規程

次に、職務権限規程について検討すると、規程集[1]の職務権限規程では、表紙に「職務権限規程案」という文字が一旦印刷された上で、そのうちの「案」の部分が修正液で消された状態になっていること、規程集[1]の同規程の実施欄には「年 月 日」という不動文字が印刷され、実施年月日を示す数字が空欄の状態であるのに対し、規程集[2]・[4]・[5]の同規程では数字が記入されていることから、規程集[1]の同規程は、規程集[2]・[4]・[5]の同規程よりも前に作成されたものであることが認められる。

規程集[1]の業務分掌規程において組織単位とされていながら、規程集[2]以下の同規程では消滅している営業部及び開発企画部という名称が、職務権限規程の別表では規程集[1]のものだけに使われており、規程集[1]の業務分掌規程と職務権限規程との間で会社組織の名称が整合していること、前記のとおり、右業務分掌規程は九月一一日の第一回チェックの対象であったことから、規程集[1]の職務権限規程も、第一回チェックの対象とされた規程であることが推認できる。なお、Jは、右第一回チェックの日付けが規程整備一覧表で一〇月三〇日と記載されている点について、九月一一日の誤りである旨証言しているところ、訂正版受領日が一〇月三〇日と記載されており、チェックを受けた当日中に訂正した上で国際証券に提出することは、他の規程の整備経過に照らして不自然であることから、右供述部分は信用できる。

また、規程整備一覧表等の関係証拠から、職務権限規程の第一回チェックに従った訂正版が一〇月三〇日に国際証券に提出され、その訂正版に関するチェックが二月一八日になされたことが認められる。そして、職務権限規程に関する同日付け修正意見(弁一七一号証五頁)が、八条と九条の間に専務の項を設けること、別表の権限欄に取締役会を設けることを指示しているところ、規程集[2]の職務権限規程には専務の項がなく、かつ、その別表には取締役会の項がないなど、右修正意見の対象になったと考えられる記載があることから、同日に行われた第二回チェックの対象とされた規程は、規程集[2]の職務権限規程であることが推認できる(なお、規程集[1]・[4]・[5]の各職務権限規程には専務の項が存在することから、右チェックの対象とされた規程ではないことが明らかである)。

さらに、規程集[4]の職務権限規程には、九条に専務の項目が、別表に取締役会の欄がそれぞれ設けられており、前記修正意見を取り入れた訂正がなされていること、規程整備一覧表で第二回チェック後の訂正版受領日が三月一九日とされていることから、規程集[4]の同規程は、同日に国際証券に提出された訂正版であることが推認できる。

また、規程集[4]の職務権限規程において九条が重複しているのは明白な誤記であるが、その部分が規程集[5]の職務権限規程では訂正されていること、規程集[4]の職務権限規程では、六条の記載部分に下線を引いた上で「取締役会の審議を経てこれを裁定する」と手書きで書き込まれているが、規程集[5]の職務権限規程六条では、同一の文言が印刷されていることから、規程集[5]の職務権限規程は規程集[4]よりも後に作成されたものであることが推認できる。

4  結論

以上のとおり、J証言は、Eノート・甲観光取締役会議事録・規程整備一覧表・修正意見綴り等の客観的証拠と完全に平仄が合っており、それらと相まって、規程集[1]ないし[5]の内容的な違い・先後関係・変遷過程・作成時期等を寸分の疑問の余地もないほど合理的に説明していることからすれば、揺らぎようのない高い信用性を保持しているということができる。

五  検察官の主張に対する判断

1  I証言の信用性

検察官は、前記一の主張を支えるものとして、Iが、当公判廷において、「<1>規程集[1]は、平成三年に甲観光の公開準備のために同社員のJ1・Lによって作成されたものであり、平成四年三月にIが甲観光に入社した当時、各課に配付されて使われていた。<2>規程集[2]は、一度に全部配付されたのではなく、先に社員給与規程が配付された後で、順次、同年の四月、五月、六月という感じで配付され、各役員の手元と各課に合計十五、六冊が存在した。規程集[2]の各規程は、そこに記載された施行日(社員給与規程は同年四月一日、職務権限規程は同年六月一日)以降、甲観光において効力を持っていた。<3>規程集[2]の職務権限規程は、同年四月、Eからの指示で、Iが別表の副社長欄をチェックした後、公認会計士や国際証券のチェックを受けて返ってきたものについて、EがBの決裁を受けた上で、全部署に配付した。<4>その後、平成五年九月以降に規程集[5]が配付された」と証言していることを挙げる。

しかしながら、I証言の右供述部分は、前記のとおり、互いに密接に関連してその信用性を補強しあっている各客観的証拠とJ証言から認められる動かしがたい規程整備作業の事実経過や各規程に記載された施行日が実態を反映したものではないことなどの客観的事実に明らかに矛盾し、不自然不合理であって、信用できない。

2  社員給与規程・就業規則との関係

また、検察官は、規程集[2]の社員給与規程と同一内容の規程集[3]の社員給与規程が一〇月一四日に労働基準監督署に届出・受理がなされ、規程集[3]の就業規則についても同様の届出・受理がなされたこと(なお、右規程は規程集[2]の就業規則と同一内容ではない)を根拠に、同月末には規程集[2]が対外的にも実施されていたとして、規程集[2]の職務権限規程が効力を持っていた旨主張する。

しかし、前記関係証拠から、各社内規程の整備の進行度に差があったことが明らかであるし、また、就業規則やそれと一体となった社員給与規程は、法律上作成と労働基準監督署への届出が義務づけられているのであるから、店頭登録のための規程整備作業とは別の観点から、他の社内規程の整備を待たずに、先立って届出・施行されるほうがむしろ自然であって、右就業規則と社員給与規程が届出・施行されていたからといって、規程集[2]中の他の規程が効力を有していたことを当然に推認することはできない。

さらに、規程集[5]の就業規則と社員給与規程は、規程集[3]の同規程とは内容的に異なっていること、規程集[5]の同規程の各附則に平成五年一〇月二五日に改訂を経た旨の記載があること、Eノートから、同日開かれた甲観光取締役会で就業規則の改訂が議題となったことが明らかであることなどから、既に施行されていた規程集[3]の就業規則と社員給与規程は、各附則中の規則の改廃に関する定めに則り取締役会決議を経た上で改訂されたことが認められるのに対し、規程集[5]の職務権限規程には、規程集[2]の職務権限規程にはなかった専務が設けられるなど、規程集[2]の同規程を役職や職務権限分配の点で実質的に変更するものであり、仮に規程集[2]の同規程が既に効力を持っていたのであれば、同規程一四条に則り取締役会決議を経た上で附則に改訂を経た旨の記載がなされるはずであるのに、規程集[5]の職務権限規程附則にその旨の記載がないことから、かえって、規程集[2]の職務権限規程は未だ効力が発生していなかったことが推認できる。

六  その他の関係証言の信用性

1  E証言

Eは、<1>規程集[5]の職務権限規程が、施行日と記載された平成四年六月一日に施行されたこと、<2>右職務権限規程はBの決裁を受けていた社内の慣行を文書化したものであること、<3>作成した順にいくつかの規程を合わせたものを回して、同年七月ころに取締役の承認を取ったことの各事実を証言する。

しかし、右供述部分は、前記のとおり、各客観的証拠とJ証言から認められる規程整備作業の事実経過や各規程に記載された施行日が実態を反映したものではないこと、規程集[1]・[2]・[4]・[5]の職務権限規程の間で、設置された部署・役職やその権限分配が変動していたことなどの客観的事実に明らかに矛盾し、不自然不合理であり、また、Eは、反対尋問では、各規程に記載された施行日は、平成五年三月決算期を基準として遡って決めたにすぎず、平成五年三月期に施行されていた規程は少なかったこと、職務権限規程は運用開始には取締役会決議が必要であるが、そのための取締役会決議は行われていないことを述べており、供述の核心部分が一貫していないことから、前記供述部分の信用性は低いといえる。

2  B証言

Bは、規程集[5]を検察庁に提出した上で、平成四年二、三月に規程集[5]の職務権限規程を最終的にまとめ、取締役会決議を経て、同年六月一日に施行した旨証言している。

しかし、右B証言は、甲観光の取締役会議事録(甲五号証資料一)中に、当該職務権限規程を承認した決議の記載が存在しないことなどの前記客観的事実に明らかに矛盾しており、信用性は乏しい。

また、規程集[2]の後に作成された改訂版である規程集[4]の職務権限規程では、附属する別表も本文に整合したものに改訂されているのであって、規程集[4]の改訂版である規程集[5]には、本来その本文に整合した別表が添付されているはずであるが、規程集[5]の職務権限規程の本文には専務に関する項目があるのに、附属する別表にはその項目がなく、本文中に規定されていない取締役総務部長についての項目があるなど、本文と別表が齟齬していること、規程集[5]の稟議規程の四条で、稟議しなければいけない事項の基準については職務権限事項の別表を参照することとされているにもかかわらず、既に規程集[4]の同別表には掲載済みであった稟議決裁事項の項目が規程集[5]の別表にはないこと、当該別表は規程集[2]の別表と全く同一の内容であることから、規程集[5]の別表はその本文のために作成された正規の別表ではなく、規程集[2]から転用の上添付されたものであることすら推認でき、この点でも、右B証言は信用できない。

3  F証言

Fは、Fが甲観光に入社した時点で、就業規則・退職慰労規程はあったが、規程集は存在しなかったこと、九月以降にEが国際証券から上がってきた社内規程の案をまとめてFの副社長室に持ってきたが、施行に関する取締役会決議や役員三名による協議はなく、運用されるに至らなかったこと、社内規程整備作業は、株式公開時期が延期になったり、平成五年に、異業種であり、かつ、甲観光を遥かに上回る三五〇名程度の従業員数を抱えるエイペックスインターナショナルとの合併問題が生じ、就業規則を始めとする諸規程を大幅に変更せざるをえなくなったりしたため結局完成しなかったことの各事実を供述するところ、右供述部分は、前記客観的証拠や全般的信用性が高いJ証言に照らし、矛盾したり特段不自然不合理な点はなく、信用できる。

七  総括

以上より、甲観光社内では、平成四年七月以降、職務権限規程の原案を作成し、国際証券の意見を聞きながら修正を繰り返していたが、Fが甲観光取締役を就任した平成五年七月上旬までに取締役会の承認決議を経ておらず、社内で運用されるには至らなかったことが認められる。

したがって、Fが手形帳を被告人に渡した一一月上旬から被告人が本件手形を完成させた四月ころまでの間、職務権限規程によりFの代表権が内部的に制限され、Fには本件手形を振り出す権限がなかったという事実は認められない。

また、他にFの手形振出権限を制限する内部的な定めがあったという事実は、本件全証拠によるも認められない。

よって、検察官の前記主張は理由がない。

八  若干の補足説明

Fは本件手形に「甲観光株式会社代表取締役B」名義の社判を押捺しているが、この点に関し、検察官は、代表取締役副社長であるFが代表取締役B名義の手形を振り出すには、Bの個別的ないし包括的承認が必要であるのに、その承諾を得ていなかった旨主張するので、その主張の当否について付言しておく。

代表取締役の権限は、本来包括的なものであって、その中には会社を代表して手形を振り出す権限も当然に含まれているが、会社の代表者が複数存在する場合であっても、銀行取引実務の便宜上、取引銀行の預金口座は代表者のうちの一人の名義で登録され、会社のための手形振出には常にその特定の名義が使用されるのが通常である。この実態に鑑みるときには、代表取締役は、その本来的な権限として、当該特定名義を使用して手形を振り出す権限を当然に有しているものと解するのが相当である(このように解しないと、手形の受取人は、手形振出人が代表者であることを確認するだけでは足りず、取引銀行に登録されている名義を確認し、口座名義人でない場合には、その名義人の承認があるか否かを調べねばならないことになり、手形取引の迅速性が害され、不都合でもある)。

すると、甲観光では、Fが代表取締役に就任する以前から、「代表取締役B」名義で共信に当座預金口座が開設されていたのであるから、代表取締役に就任したFは、その本来的な権限として、当該特定名義を使用して手形を振り出す権限を当然に有していたというべきである。

よって、検察官の右主張は採用できない。

第四  Fは被告人による本件手形完成を許容していたか

一  問題点

1  双方の主張

本件では、Fが、一一月上旬に、甲観光の手形用紙六枚に甲観光の社判と銀行印を押捺した上で、手形帳ごと被告人に交付しているが、弁護人は、Fの右行為は白地手形の振出であり、被告人に白地補充権が付与された旨主張し、他方、検察官は、Fには手形振出の意思がなく、手形帳の移転という事実行為があったにすぎない旨主張する。

2  本件手形は白地手形か

そこで、まず、そもそも、Fが被告人に交付した物が外形上白地手形たりうる資格を備えていたか否かを検討するに、白地手形とは、将来手形として完成されることが予定されている商慣習法上の有価証券であって、未だ補充されない状態で転々流通しうるものであるから、手形要件の全部又は一部が空白である点を除けば、完成手形と同様の外形を備えている必要があると解されるところ、本件では、Fが被告人に交付した時点では、手形用紙六枚が手形帳から分離されておらず、しかも、社判・銀行印を押捺していない七枚目の手形用紙とともに、手形帳ごと交付されていることからすれば、他方において、甲観光の社判と銀行印が押捺され、うち三枚には、後記認定のとおり、印紙が貼られていたとしても、それらはおよそ商慣習法上認められた白地手形としての外形、言い換えれば、白地手形としてのそれであれ、ともかくも外観自体から振出人の振出意思が看取できるような外形を備えていたとはいいがたいから、被告人に交付された時点での本件手形を指して、白地手形であるとはいえない。

よって、Fが被告人に外形上白地手形たりうる物を交付したことを前提として、その際に白地補充権が付与されたとする弁護人の右主張は、採用できない。

3  検討すべき問題点

ところで、有価証券偽造罪は、その作成権限を持たない者が、作成権限者の意思に反して有価証券を作成したときに初めて成立するのであって、本件でも、前認定のとおり手形振出権限を有するFが、被告人により将来右手形用紙の空欄に金額等が記入され、手形として完成されることを許容していたと認められる場合には、たとえ交付された物が白地手形には当たらなくても、結局、手形作成名義の冒用はなく、有価証券偽造罪は成立しないことになる。したがって、被告人の行為が有価証券偽造に該当するか否かを判断するには、Fが被告人による本件手形完成を許容していたか否かを検討することが不可欠であるといえる。

そして、検察官・弁護人双方の前記各主張から、右問題点に対する主張を敷衍するに、弁護人の前記主張は、Fが、手形帳交付の時点で、被告人が将来手形として完成することを許容していたという主張を含意するものであり、他方、検察官の前記主張からは、Fには手形振出の意思がなく、一一月には手形帳の移転という事実行為があったにすぎないのであるから、Fは被告人による手形完成をおよそ許容していなかったという主張が導かれる。

そこで、以下では、検察官・弁護人双方が、Fから被告人に対する白地補充権付与の有無という争点について展開している個別的具体的な主張を、Fが被告人による本件手形完成を許容していたか否かという問題点に関する主張として捉え直した上で、この点に関する供述証拠を客観的証拠と対照・吟味しながら、検討を進めることにする。

二  手形帳交付の状況

1  関係供述

一一月上旬にFから被告人に甲観光の手形帳が交付された状況及び交付に至る経緯については、F証言、E証言、B証言、I証言、H証言、被告人の捜査段階の供述及び被告人の公判供述が存在するが、右各供述の内容は、以下のとおりである。

2  供述内容

(一) F証言

リゾート洞爺の全体の工事代金が四四八億円と決った段階で、被告人はカブトデコムが開発業者として得る利益の標準的な割合である二五パーセントを元請利益として予定していたが、当初の予定より工事原価が膨らんだため、二〇パーセントに相当する約九〇億円にせざるをえなくなった。予想外に費用がかかった工事の代表的なものとしては、五億円くらいの費用で電柱を建てる予定だったのが、変電所を造り電柱を建てないで配線することにしたため一五億六〇四五万円かかったこと(甲一二八号証五八頁)、予想以上に積雪量が少なかったため人工降雪機を設置するのに二億九六六四万円かかったこと(同号証一五四頁)が挙げられる。

平成四年秋ころ、所期の元請利益が上がらない可能性が出てきたので、Hが、九月時点での下請と契約済みの請負代金総額を計算した上で、リゾート洞爺請負代金を三〇億円程度増額する案を出し、FとHが二人で数字を検証し、その程度のものが必要ではなかろうかと話し合ったが、おいおい考えていこうということになり、その場は終わった。代金増額のための設計変更をする場合の契約方法としては、増額分の追加工事を発注するやり方がある。

九月か一〇月ころ、Fは、着工していなかったエイペックス札幌新築工事前渡金七〇億円をリゾート洞爺工事代金に充当してほしいと考え、F・E・I・Mが相殺案を作成した。拓銀の提案でカブトデコムとの相殺の話し合いを持つことになったが、Fは被告人に説明しにくいので、Mが説明することになった。

一〇月一五日、カブトデコム本社二階会議室で、F・G・M・Oが被告人・P・Hと会い、Mが相殺案を提示したが、被告人に拒否され、Fと拓銀側は反論しなかった。また、Mが、リゾート洞爺工事の元請利益を負けてほしいと頼んだが、被告人はできないと答えた。Fは、元請利益については当然カブトデコムが受け取るべきだと思っており、工事代金を負けてもらうことは甲観光の意思ではなかった。

同月二六日ころから同月末ころの間に、MからFに、当面カブトデコムの元請利益を棚上げにし、拓銀が甲観光に融資した工事代金等の資金を直接下請のゼネコンに支払う方法に変える旨の話があった。

同月末、カブトデコム社長室において、被告人がFに「工事代金として手形をもらうことになるかもしれない」と言った。工事代金額を出してその二〇パーセント程度、約九〇億円とのことだった。この九〇億円は、その時点で具体化していた工事代金ではなく、当初からカブトデコムで予定していた、請負金額約四五〇億円の二〇パーセントの諸経費の全体額である。この諸経費は、元請利益と同じものだが、営業利益のほか、労災保険料、工事契約印紙代等の経費が含まれる。手形の決済資金は被告人が拓銀その他の金融機関と話し合いをして資金繰りすると思っていた。

一一月初めの昼、被告人から電話で「工事代金として甲観光の手形をもらうから、Hが取りに行くんで渡してほしい」「六枚に社判と判子を押して手形帳のまま渡してほしい」「二〇万の印紙を手形三枚に貼ったものを用意してほしい」などという連絡があり、Fは了解した。直前に九〇億円という話を聞いていたので、六枚の手形がその九〇億円に対応すると思っていた。手形用紙の空欄部分を誰が埋めるかという話は出なかったが、被告人が手形用紙に金額を記入して流通に置くと思っていた。印紙の額が手形の券面額に応じて決まることは知っていたが、本件手形の券面額がいくらになるという見通しは持っていなかった。

被告人からの電話を切った直後、Eに内線電話で「A社長から電話が入ったので、手形帳と判子を持ってきてほしい」と指示して、手形帳・社判・銀行印を持って来させた。Eに、被告人から、工事代金として手形帳に捺印したものを渡してほしいという話があったことを説明した。FかEが、六枚の手形用紙に社判と銀行印を押捺した。社判を押した後に、九月の本社移転前の旧社判であることに気づいたので、Eに「これで大丈夫なのか」と聞いたところ、Eは「手形の効力には問題がない」と答えた。その後、FがEに「A社長の指示で二〇万円の印紙を三枚貼ることになるんで用意してほしい」と話したところ、Eが当日中に六〇万円分の印紙を北海道ビジネスネットワークを通じて調達して貼付し、印紙の割印と耳の部分との契印を押した。Eは「B社長にこのことは言ってください」と言った。Eが印紙を北海道ビジネスネットワークを通じて購入したのは、甲観光で買うと資金繰り表に載り同社の経理を通じて拓銀にわかるおそれがあったためだと思う。作成後二、三日間、自分の机の引出しの中に手形帳を保管していた。

その後、手形帳をHに渡す前で、まだFの机の引出しにあるときに、Eと二人でBのところへ行き、「A社長から手形を渡してほしいという話があるから渡します」と話した。Bは「オーナーからの話であればしようがねえな。切るときにはちゃんと教えてくれるんだろうな」「オーナーが実際に使うときにはちゃんと報告してこい」などと言った。Bが「何にするんだろう」と聞いてきたので、Fが「工事代金の関係です」と答えた。拓銀から来ているMとK1には手形帳を渡すことを話さなかった。Fは、銀行に自分の貸金庫を持っていないし、Bに手形帳をFの金庫に保管しておくとは言っていない。

時間は覚えていないが、手形用紙に捺印をした二、三日後にHから今から取りに行くという連絡が入り、二人きりの副社長室で、シグママネジメントの社名が印刷された薄いグレーの大きな封筒に手形帳を入れて渡した。Fは手形帳を交付した後、手形帳を返却してほしいとカブトデコム側に言ったことはなかったし、カブトデコム側から返却すると言われたこともない。

その後、Hから手形帳は被告人の部屋の金庫にあると聞いた。一二月から一月にかけて、副社長室でEから、社長室でBから、各一回ずつ手形帳はどこにあるのかと聞かれたが、手形帳は被告人の部屋の金庫にあるはずだと答えた。

一〇月一五日の話し合いで、もう駄目だとは思っていたが、一二月ころ、FがEかIに一一月三〇日付け支払相殺合意書を作らせ、PかHと相殺の話し合いをしたが、受け入れられないとはっきり断られた。その後も、二、三回交渉したが、できないと言われた。

(二) E証言

一一月二日の夕方、Fに、手形帳・社判・銀行印を持ってくるように内線電話で指示されたので、Eの七階のフロアからFの八階副社長室にそれらを持って行った。金融機関に甲観光本店の新住所への改印届けがされていたので、新しい住所の社判を持って行ったが、Fが旧住所の社判でよいと言うので、七階に戻って旧住所の社判を誰かに出してもらって持って行きFに渡した。

Fに手形帳等を持って来させた理由を聞いたところ、Fは、被告人から手形用紙に社判と銀行印を押したものを作ってくれと言われたと説明した。Fは、工事代金の支払の担保にする、あるいは、拓銀との交渉結果がだめだったとき流通に置いて資金繰りをするという意味合いのことを言った。Fが社判と銀行印を押印し、Eにそれらを返した。金額が確定しないということで金額は入れなかった。Fが白地手形を振り出そうとしていると思った。当日不在だったBに必ず了解をもらうように話したところ、Fは承諾した。

(なお、検察官は、Eが、右「担保」の意味について、「話が悪く出た場合にそういう手形をカブトデコムが持っているということを交渉材料として使う」と供述したとして論告に引用しているが(四五頁)、実際は、検察官の「交渉材料という意味でとらえてよいか」という誘導尋問に対し、Eは、受け止め方としてはあくまでも担保的だった旨従前の供述を繰り返したにすぎないのであって(第一三回公判速記録六六頁)、右引用は不正確である。)

Fが押印するときに、手形用紙に印紙は貼ってなかった。Eは印紙を貼っていない。Eは、三〇億円の手形には二〇万円分の印紙を貼付しなければならないことは知っていた。一一月二日付け郵便切手類及び印紙売渡証明書が貼付され、「収入六〇万」と書き込まれた同月四日付け北海道ビジネスネットワーク取締役会議事録コピー(平成六年押第七二号の二九に綴られているもの)の原案をEが作成して同社に持って行った。Eが北海道ビジネスネットワークの業務を統括していたという状況から判断して、Eが同月二日に同社社員L1に手形に貼るための六〇万円の印紙の購入を指示した可能性はある。

同月四日に、FとEがBのところへ行き、Fが「A社長から言われて手形を発行しました」「手形を用意しました」あるいは「A社長に言われまして、手形帳に銀行印とゴム印を押したものを自分で作って保管してあります」などと報告したのに対し、はっきり覚えていないが、Bは「そういうことをしたら大変なことになるから渡すなよ」というような言葉を言ったと思う。Fが「自分で借りている銀行の貸金庫に入れてある」と説明すると、Bは「手形を回すときには必ず報告しなさいよ」あるいは「厳重に保管しろ。万が一、それを出す場合は、自分の方に話をしてからやってくれ」と指示し、Fは「わかりました」と答えた。この際に、FはBに、拓銀との間でうまくいかなかったときに流通に置いて資金繰りをするという趣旨を説明していた。BもEも、拓銀と対決するときがいずれも来るかもしれないと考えていた。

一二月ころから二月ころの間に、二、三回、Bの指示を受けて、EがFに保管の確認をしたところ、Fは大丈夫と答えた。また、甲観光役員三人でのミーティングの席上、Bが「手形は保管庫にあるんだろうな」と確認したところ、Fは「あります」と答えた。BもEもFを信用していたので、金庫の所在を確認したり、手形帳を持ってこさせたりはしなかったし、当時甲観光にデスクを置いて常駐していたK1とMには報告しなかった。

(三) I証言

一一月二日午前一一時から正午の間に、Eから「手形をカブトデコムへ返すから手形を出してくれ」と言われた。突然だったので聞き返したところ、「オーナーの命令なので仕方がないから」と言われた。そこで、手形帳を金庫から取り出してE部長に渡した。手形を管理しなければならない立場だったので、手形を使われて自分に責任が及ぶのではないかと心配になり、卓上メモ(甲一六六号証)を残した。メモに書いた時刻は、記載した時刻であり、Eから手形帳を渡すように指示されたのは午前一一時台ということしかわからない。手形帳を渡したことは秘密にしなければいけないと理解していたので、支払手形記入帳にカブトデコムに返した旨記載して斜線を引いておくようなことはしなかった。

Eに手形帳を渡したとき、あるいは、渡した後に、甲観光の社判や銀行印を貸してほしいとは言われていないし、社判や銀行印を手形に押すという話はEやFから聞いていない。また、Eは財務課の金庫の鍵を持っていないので、Eが勤務時間外に右金庫から社判や銀行印を持ち出すことはできない。なお、手形番号Ab一二四四六の約束手形のように、印紙の消印と手形帳の耳の部分との割印を兼ねて銀行印を押捺するのは、手形振出の経験のある人のやり方である。

(四) H証言

リゾート洞爺事業におけるカブトデコムの元請利益は、当初は二五パーセントを予定していたが、最終的にカブトデコムが甲観光から受注した平成三年六月当時は二〇パーセントを予定していた。リゾート洞爺事業では、カブトデコムの一〇〇パーセント子会社である山王建設を甲観光との間に介して受注した土木工事を含めた総受注高を基準にして二〇パーセントの元請利益を確保するのが基本的な考え方だった。

佐藤工業に発注した屋外電気工事約一五億円、ミズノに発注したスノーメーキング工事など平成三年六月には予想していなかった工事が必要になったため、工事原価が増えた。これらの工事を追加することについては、Fも了解していた。

当初予定していたリゾート洞爺工事の利益が下がる恐れがあったので、平成四年七月九日ころ、工事原価のうち用地取得費二〇億円、租税公課五億円、建中金利三億円の合計二八億円について、リゾート洞爺に併設した大和ゴルフ場の会員権を販売したり周囲の遊休地にコテージを建てて販売するなどのリゾート洞爺会員権売却以外の別の資金繰りをし、その分について増額の追加工事の発注をしてリゾート洞爺の利益に振り替えることをFとHで考え、被告人に話した。このころは、カブトデコムと甲観光を一体として捉え、建設資金の捻出と元請利益の確保の両方を考えていた。被告人は常々ゼネコンとしては最低二〇パーセントの元請利益が必要だと思っていたので、この話は没になった。

一〇月一五日に拓銀からの相殺案を被告人が拒否した後、Pが作成した内容的にほとんど同じ案(甲一五五号証四〇三頁)を被告人に伝えた際に、被告人が相殺の申し入れはナンセンスで、逆にこのようなこともいえると話した内容を、HがPに説明するための資料として「カブトデコム側の主張」と題する書面(同号証四〇〇頁)を作成した。

同月一五日過ぎころ、被告人の意向を受けて、設計変更のための追加工事がどのくらいもらえるかシミュレーションをした。甲一五五号証四一三頁の表は、Hの部下である総合企画室のM1が作成した。総受注高を五三七億円とした場合の二〇パーセントである一〇七億円と右表における元請利益とでは四二億円の差があったので、これは没になった。

同月二三日に、被告人からリゾート洞爺工事について、二〇パーセントの利益を確保するため、追加工事契約を結ぶように指示を受け、直後にFとその話し合いをした。Fが、工事現場が山の上で今後何が起こるかわからないから一番最後にまとめてやろうと言ったので、追加工事契約を締結しなかった。

同月下旬から一一月初め、被告人から「洞爺の工事代金を手形でもらうことになったから、Fに言ってあるんで、取りに行ってほしい」と指示があった。Fに「A社長から言われたんで取りに行く」と言うと、Fはわかったと答えた。

同月初め午後七時ころ、甲観光八階副社長室でFに会い、Fから手形帳を二つ折りにしてシグママネジメントの社名が入ったグレーの封筒に入れて受け取った。Fから受け取った手形帳は、翌日以降に被告人に渡した。被告人はカブトデコム二階社長室の机の引出しに手形帳を保管していた。

(五) 被告人の捜査段階の供述

拓銀から、一一月からの甲観光への工事代金融資について、カブトデコムの元請利益を削った上で下請に払う原価のみを甲観光に融資してカブトデコムに払うという話があったが、工事代金の一八ないし二〇パーセントは正当に受け取れる金額だと考えていたので、拓銀が元請利益分を甲観光に融資しないというのであれば、甲観光の手形を切ってカブトデコムの取り分を取ろうと考えた。ただ、そのときは具体的な工事代金も計算されていなかったので、拓銀がカブトデコムの元請利益分の甲観光に対する融資をしないということになった場合に、工事代金として甲観光の手形を切ろうと思っていた。

そこで、一一月ころ、Fに「Hが取りに行くから、甲観光の手形帳に印鑑押して渡してくれ」と頼んだ。Fには、そのときは、何のために手形帳を渡すのか具体的に話していなかった。自分自身でも具体的にその手形を切るか切らないか、切るとしても時期や金額をどうするか、決まっていなかった。その後、Hに「Fに言ってあるから、手形帳を取ってきてくれ」と頼んで甲観光の手形帳を持ってきてもらった。手形帳に手形用紙が何枚残っているか確認しなかったが、手形用紙一枚と指示したのではなく、手形帳と指示したので、用紙が何十枚か少なくとも一〇枚近くはあると思っていた。Fに頼んだとき、印鑑を用紙全部に押すように頼んだので、Hが封筒に入った甲観光の手形帳を渡してくれたとき、残っている手形用紙のすべてにBの記名判と代表印が押してあると思っていた。中身を確認せずに、カブトデコム本社ビル社長室の机の引出しに入れておいた。

(六) 被告人の公判供述

一〇月二〇日ころ、被告人がFをカブトデコム社長室に呼んだところ、Fは同月一五日の話し合いで拓銀から元請利益を負けるという話が出ることは予想していなかったと述べた。被告人は、拓銀の目的は債権回収であるから工事代金の融資を中止すると予想し、手形で工事代金をもらうとFに話した。九月末の工事出来高、リゾート洞爺工事代金総額四四八億円の二〇パーセントの元請利益のいずれで計算しても九〇億円はもらえると考えた。その後、Hに同月末に遡って工事の設計変更契約を締結するように指示した。

一〇月末から一一月二日の間に、Fに電話でリゾート洞爺の工事代金として手形をもらうと話し、金額の入っていない額面三〇億円に相当する印紙を貼った手形を三枚と小割りをするために金額を入れず印紙を貼っていない手形を三枚振り出すように話した。工事が完成しておらず金額が確定していなかったので額面を白地にした。Fは被告人が補充したら額面金額と支払期日を伝えてほしいと要求した。Hに対し、Fに言ってあるのでFから手形をもらってきてくれと指示した。その後、Hから封筒ごと手形を受け取って、社長室の机の引出しに入れた。

(七) B証言の内容とその信用性

(1) Bは、四月初めにFから報告を受けるまで、Fが被告人の求めに応じて手形用紙に社判と銀行印を押したことを知らなかったと断った上で、そのときの模様について、以下のとおり供述する。

(2) 四月初めにFからちょっと話があると言われ、二人だけで話をした。Fが「A社長から手形に判を押して白地手形を出せと言われた。社長の社判と銀行印で判を押して、白地の手形を私が作って持ってます」と言うので、Bが「何のためにそれを出すんだ」と尋ねたところ、Fは「拓銀とカブトが思わしくないので、我々としては今後使う金にするんだ」「将来的に拓銀とうちとうまくなくなったら金が必要だ」と答えた。Bが「それはどのくらいの金だ」と尋ねると、Fは「手形には金は入れてませんけど、三〇億くらいでないですか」と答えた。そこで、Bが「お前とんでもないことをしないでくれよ。それを持ってこい」と指示したが、Fは「自分の銀行の金庫に預けている。A社長と話してるもんですから、私に保管させてください」と頼み、とんでもない話じゃないかと怒っても、Fが「これはA社長に言われた以上やらざるを得ない」という言い方で弁明した。そこで、Bは「これを回すときには、必ずおれに言ってくれ」「A社長もいろいろからんでいるだろうから、それはいいけれども、出すときには必ずおれに報告してくれよ」と言った。金庫に預かっているから間違いありませんという話だったので、Fを信じて、手形帳を確かめることはしなかった。このやり取りの際、工事代金という話は出なかった。Fは被告人に渡したとは言わなかったし、Bは、被告人から言われたら渡してもいいよとは言っていない。

また、Fにどうやって記名印と銀行印を押したのかと尋ねたところ、Eに持ってこさせて押したと答えた。直後に、Eを呼んで確認したところ、Eも同じことを言っていた。Eに、今後の動きをしょっちゅうFに聞いて、手形を回すのか回さないのか確認してくれよと指示した。

Bが四月から五月ころにかけて、Fに会ったときに、手形の状況を何回も聞いた。FからもEからも、「まだ金庫にあります」と言われた。

(3) B証言の全般的信用性を検討するに、カブトデコムグループを離脱し拓銀の管理下に入った甲観光の社長であるBの立場に照らして、同社の経営に強い影響力を持っている拓銀から取締役としての責任を追及されかねない事実については、故意に、あるいは、無意識的に、隠蔽・歪曲して供述する可能性が一般的には存在するところ、B証言には、次に述べるとおり、Fから手形に関する報告を受けた時期を実際よりも遅い時期のこととして供述するなど、本件手形に対する自己の関与の度合いを極力薄めようとする態度が顕著に窺われる。

すなわち、Bは、主尋問及び反対尋問の際には、四月初めにFから手形についての報告を受け、同月末か五月初めにVとWに報告したところ、二人は、「それは困ったもんだな、責任分野をはっきりさせなくちゃならん」と言ったと供述していたが、再主尋問の際に、一月末又は二月初めころ、Fから手形について初めて聞き、五月二八日以降にVらに報告したと供述を変遷させている。しかるに、その変遷の理由についてBは合理的な説明をしていないばかりか、その後、Fから報告を受けたのは被告人からBの解任問題が起きていることを聞いたときより前という記憶しかないと再度供述を変遷させている。

また、FとEに手形の保管状況について確認した時期についても、当初は、四月から五月ころにかけてとしていたのに、その後、二月、三月、四月ころに、二、三回FとEから報告を受けたと変遷している。

さらに、Bは、このFとのやり取りについてVに報告したとするが、この当時にFとのやり取りを報告していたのであれば、Vの検察官に対する陳述書(弁一〇一号証)や本件手形に関する民事訴訟における甲観光の準備書面(弁八四号証)等に右事実が記載されて然るべきところそのような記述がないことに照らし、不合理である。

このようにB証言の前記供述部分は、内容が変遷しており、不自然不合理な部分があるばかりか、同証言中の他の供述部分においても、エイペックス札幌新築工事契約が架空契約である旨述べたり、前記のとおり、規程集[5]中の職務権限規程が取締役会の決議を経て、平成四年六月一日に施行された旨供述するなど、客観的に明白な事実に矛盾する供述が少なからず存在することに鑑みると、B証言の全体としての信用性は、全般的信用性が必ずしも高いとはいえない他の証人と比較しても、著しく乏しいといわざるを得ない。

3  客観的証拠の分析と供述の信用性

(一) 吟味の方針

被告人がFに甲観光の手形帳の交付を求める際に、Fとの間でどのようなやり取りをしたかに関する直接証拠としては、被告人・H・Fの捜査段階の供述群と同人らの公判段階の供述群があるが、両供述群の間では齟齬が認められる(なお、Fの捜査段階の供述とは、F証言中でFがその存在を認めた部分である)。しかも、本件では、被告人・F間の具体的なやり取りの内容を示す客観的証拠は存在しない。

しかし他方、元請利益確保のためのカブトデコム内部資料とHのメモ、被告人から指示を受けた後のFの発言をEが記載したノート、Iの卓上メモ、Fが被告人に交付した手形用紙の外観等の客観的証拠が存在することから、その証拠と慎重に照合して、前記各供述の信用性を吟味し、Fと被告人との間のやり取りを認定することは不可能ではない。

そこで、以下、右客観的証拠を検討しながら、前記各供述の信用性を吟味する。

(二) 元請利益確保のためのカブトデコム内部資料とHメモ

(1) リゾート洞爺の既存会員権の解消問題に関するメモに続いて記載された「カブトデコム側の主張」と題するHのメモ(甲一五五号証二二一頁)に、「エイペックスの工事利益二〇%確保(約五五〇~六〇〇億の二〇%)約一二、〇〇〇百万円」とあり、また、右書面の草稿と推認されるHのメモ(同号証二二四頁)に、「エイペックスの工事利益二〇%確保(六〇〇オク×二〇%)一二、〇〇〇」と記載されている。

右メモについては、Hは、一〇月一五日の拓銀との話し合いの後に被告人の発言を記載したものである旨述べているところ、右会員権の解消問題は同月ころに甲観光とカブトデコムとの間で話し合われていた事項であること(同号証三二五頁、弁一二七号証)、右書面中のカブトデコムの主張の一つである「シグマへの支払分一二億三〇〇〇万円は使途がちがうので不可」という記載部分は、同月一五日に甲観光側から示された相殺案に掲げられた債権債務関係であること(甲一五五号証四〇六頁等)、右メモの内容はカブトデコムから甲観光に対する債権の存在の主張であり、内容的に同日の相殺と元請利益削減の提案に対する反論になっていることから、右供述部分は信用でき、右メモの内容は同日後に、右提案に対する被告人の反論を記載したものであることが認められる。

そして、Hは、カブトデコムの元請利益率を土木工事を含めた総受注高で考えていた旨供述していること、同日過ぎころにカブトデコム総合企画室で作成したリゾート洞爺工事の受注額・工事原価・元請利益等を記載した書類(同号証四一三頁)でも、総受注高を基準に元請利益率を算定していること、HがF・被告人とリゾート洞爺工事に関する建設資金の捻出と元請利益の確保について話し合った内容を記載した平成四年七月九日付けメモに、カブトデコムの受注高上限として、前記メモの数値に近似した五六〇億円という数字が記載されていること(同号証二九二頁)から、前記メモ中の五五〇ないし六〇〇億円という数値は、リゾート洞爺の土木工事を含めた総受注高として想定した数値であることが推認できる。

さらに、前記メモに異なる筆跡でリゾート洞爺工事の利益が一五パーセントで九〇億円と書き加えられたものが二枚あることから(同号証三九七、四〇〇頁)、カブトデコム内部で右メモの内容が検討されたことが認められる。

(2) また、被告人は、当公判廷において、一〇月下旬に、Hに九月末に遡ってリゾート洞爺工事の設計変更契約を締結するように指示した旨供述し、Hも、一〇月二三日に、被告人から二〇パーセントの元請利益を確保できるように追加工事契約を結ぶように指示を受け、Fと話し合いをした旨供述し、さらに、Fも、九月時点での下請に発注済みの工事代金総額を計算した上で、リゾート洞爺工事代金を三〇億円程度増額する案がHから出され、二人で検討した旨供述している。

そこで、右供述部分に関連する客観的証拠を検討すると、右の供述部分は、Hの一〇月二三日付けメモに、「最悪の状態で考えると、Fと打合せして 工事契約を締結逆のぼって 二〇%の利益」と記載されていること(同号証二〇八頁)と基本的に合致している。また、同月一五日過ぎころにカブトデコム総合企画室で作成したリゾート洞爺工事の受注額・工事原価・元請利益等を記載した書類(同号証四一三ないし四一五頁)に、リゾート洞爺事業に関し甲観光との間で九月二五日付けで契約締結予定の工事原価のかからない追加工事契約、つまり、追加工事名目の代金増額契約として、一次一期ホテル建築追加その3工事(請負代金額一五億〇五〇〇万円)、一次二期スキーセンタービル新築外工事追加その1工事(同五億八〇〇〇万円)及び一次三期ロープウェー駅舎新築外工事追加その1工事(同三億九〇〇〇万円)の合計請負金額二四億七五〇〇万円の追加工事が記載されていることは、元請利益率は二〇パーセントより小さいものの、カブトデコム内部で元請利益確保のための検討をしていたことを示すものとして、右各供述部分を基本的に支えている。

さらに、「リゾート洞爺予算書」と題するリゾート洞爺の実行予算と平成四年三月期までの進行基準売上状況を記載した表に、Hが手書きで、工事原価のかからない追加工事請負代金額として八〇億四六〇〇万円分を増額し、そのまま利益に上乗せしたメモを記載したもの(同号証三六五頁)、右と同額の八〇億四六〇〇万円を追加契約予定分としてリゾート洞爺工事請負金額に上乗せし、土木を含めた総受注高を五五〇億六六〇〇万円と計算した「エイペックスリゾート洞爺関係工事契約一覧」(同号証三八七頁)、右各追加工事分の九月二五日付け工事請負契約書案(同号証三八九ないし三九一頁)が存在するところ、右各書面は、想定された総受注高・元請利益や契約締結日が、Hの「カブトデコム側の主張」と題するメモや一〇月二三日付けメモの記載内容と整合している(右各書面の作成時期について、三月八日ころ、甲観光のLからリゾート洞爺工事関係の資料をもらい、カブトデコム総合企画室で作成したとのHの供述は信用できない)。

そして、Hは、一〇月一五日過ぎころに作成した二四億七五〇〇万円の前記請負金額増額案では元請利益が六五億円にしかならず、右案における総受注高五三七億円の二〇パーセントである一〇七億円とでは、四二億円もの差があったので、没になったと述べているところ、同号証四一三頁にその供述どおりの書き込みがあること、前記各契約書案に印刷された契約締結日が、二四億七五〇〇万円の前記請負金額増額案(同号証四一四頁)と同一の九月二五日付けになっていることなども併せて総合的に判断すると、Hが、一〇月一五日過ぎころに、一旦は二四億七五〇〇万円の前記代金増額案を作成したものの、同月二三日に被告人が二〇パーセントの元請利益を確保できる代金増額契約を指示したために、Hが、前記各書面を作成した上で、Fとの間で約八〇億円の追加工事名目での代金増額契約締結の話し合いをしたことが推認できる。

(三) EノートとIの卓上メモ

(1) Eノート(弁一二七号証)中に、一一月二日付けで「三〇億×〇枚(〇の部分は数字の『3』と『6』が重なったもの)期日六/四・二五~ 六ケ月ごと 三〇億×三枚 期日なし三枚」という記載がある。

この記載について、Eは、同日に銀行印等をFに持って行ったときに、Fから手形に関して聞いた言葉をメモしたものであり、「期日六/四・二五~ 六ケ月ごと」は、平成六年四月二五日から六か月ごと、「三〇億×三枚」は、金額が三〇億と確定していたわけではないので、三〇億くらいの手形が三枚、「期日なし三枚」は、期日を入れない手形が三枚という意味であると供述しているところ、その供述内容は、右記載内容に照らし不自然不合理な点はなく、それを合理的に説明したものとして信用できる。

(2) これに対し、検察官は、<1>「×」という記号を必ずしも掛け算の意味で使っていないことはCのノート(甲一五二号証二一五頁)でも明らかであること、<2>平成六年四月まで、六か月ごとに手形を書き替える趣旨に読める記載が存すること、<3>Eが三〇億くらいという金額しか話の中に出ていない旨供述していることから、同人の認識では、九〇億円ではなく、あくまでも総額として約三〇億円という金額を想定していた旨主張する。

しかしながら、<1>は、別人のノートであるばかりでなく、三二・五億という記載の直後に「(×二)」と括弧に入れて書かれたものであり、三二・五億円分の手形の内訳が二枚であることを括弧で閉じて表示する意思が示されており、Eノートの前記部分とは記載の仕方が明らかに異なること、<2>は、「期日六/四・二五~」と記載した部分を「期日六/四まで」と読み取るものであり、不合理であること、<3>は、Eは、「三〇億×三枚」の記載部分について、「三〇億」の部分が三〇億と確定していたわけではなく「三〇億くらいという意味でそれが三枚」とはっきり供述しているのであって、総額として約三〇億円という供述はしていないことなどに鑑みれば、検察官の右主張は理由がない。

(3) また、検察官は、前記I証言と卓上メモの記載内容から、一一月二日午前一一時ころ、EがIに対し、被告人の指示に基づいて手形帳をカブトデコムに返す旨を申し向け、本件手形帳をIから受け取ったことが認められ、右事実から、被告人からFへの指示内容やFからEへの指示内容も同様に、手形帳をカブトデコムへ返せというものであったことを推認できる旨主張する。

しかしながら、右推認事実は、Eが当日Fから聞いたことをメモしたEノートの前記記載部分に手形金額や支払期日等が記載されていることに矛盾するし、後記のとおり、EがFに頼まれた手形用紙に貼付するための印紙の購入をI等の甲観光の財務課職員に頼まず、北海道ビジネスネットワークを利用し、その購入目的を隠す工作をしたり、六月初めにFとともにIを呼び出し、手形帳交付の経緯について口止めをするなどの行動を取っていることに照らし、EがFからの指示内容をそのとおりIに伝える可能性は必ずしも高くない。

よって、検察官の右推認は失当であるといえる。

(4) ところで、検察官は、Eが、Fから手形用紙を担保的なものに使うかもしれないと聞いたと供述し、さらに、「担保的」という意味を尋ねた検察官の質問に対し、Eが、手形をカブトデコムが持っていることを拓銀との交渉材料として使うという意味である旨答えたことを前提として、カブトデコムが拓銀に融資を申し込む際に、甲観光の手形用紙を拓銀に示して脅し、融資を引き出す交渉の材料として使う意図を被告人がFに、FがEにそれぞれ伝えた旨主張する。

しかしながら、検察官が拠って立つ右E証言の引用は、前記2(二)のとおり、不正確であるばかりでなく、単に交渉材料として使用するのであれば、支払期日の記載の有無や手形の枚数等はさほど問題にならないから、わざわざFとEとの間でその内容を確認しないのが極めて自然であるにもかかわらず、Eノートの前記記載部分に手形の金額、支払期日の記載の有無や枚数等が記載され、Eが右記載部分のとおりの話をFから聞いた旨供述していること、その後、被告人が、拓銀への融資の申込みに際して、交渉材料や脅しとして甲観光の手形用紙を見せた事実は、本件全証拠によるも認められないことなどに鑑みれば、検察官の右主張もまた採用できない。

(四) 印紙の貼付

(1) 次に、Fがどのような外観の手形用紙を被告人に交付したのかという点について、前記のとおり、Fは、Eに六〇万円分の印紙を用意させ、甲観光の手形用紙三枚に貼付した旨供述しているのに対し、Eは、印紙については知らない旨述べ、右事実を否定しているので、以下検討する。

(2) この点に関して、関係各証拠を吟味すると、<1>甲観光の手形番号Ab一二四四四ないしAb一二四四六の手形用紙三枚に貼付された各印紙は、甲観光の銀行印で消印がなされていること、<2>カブトデコム財務担当者から四、五月にCに交付された印紙の種類・数(甲一五二号証一六五、一八七頁)は、甲観光の手形番号Ab一二四四七ないしAb一二四四九の手形用紙三枚とカブトデコムを通じて流通に置かれた兜ビル開発の手形用紙八枚に貼付された印紙の種類・数と一致すること、<3>EがBから運営を任されていた北海道ビジネスネットワークの領収書綴り中に、一一月二日に同社が六〇万円分の印紙を購入したことを証する同日付け「郵便切手類及び印紙売渡証明書」が存在すること、<4>右領収書綴り中に綴じられた極度額四〇〇億円の根抵当権設定承認に関する同月四日付け同社取締役会議事録に、手書きで「収入六〇万」と記載された上で、右証明書が貼付されているところ、根抵当権設定契約書には印紙を貼付する必要はなく、また、六〇万円分の印紙は右根抵当権設定に要する登録免許税額とも対応していないこと、<5>Eノート中に、同月二日付けで、「三〇億×三枚」という印紙六〇万円分に対応する手形金額が記載されていること等の客観的証拠が存在することに加え、<6>Eが右議事録の原案を作成して同社に持参したことを認めていること、<7>Eが、額面三〇億円の手形には二〇万円分の印紙貼付が必要であることを知っていた旨述べていることなどの事実も併せ考慮すると、Eが甲観光の手形用紙三枚に貼付するための六〇万円分の印紙を北海道ビジネスネットワークを通じて購入した上、その使途を隠すために右議事録を作成したことが推認できる。

さらに、<1>前記手形用紙三枚の左端に一〇万円の印紙が二枚ずつ縦に並べて貼られ、手形帳の耳の部分との割印と印紙の消印とが一個の印影で兼ねるように銀行印が押印されていること、<2>Eが財務の経験者はこのような印紙の貼付・押印方法をとるのが普通であり、自分も同様の方法を取る旨述べていること、<3>甲観光がこれ以前に振り出した手形に同様の印紙貼付・押印方法が取られていること(甲一〇八号証)などに照らせば、Fの指示を受けたEが、前記手形用紙三枚に各二〇万円分の印紙を貼付した上で消印と割印を兼ねて銀行印を押捺したことが推認できる。

(3) 以上より、Fが被告人に交付した手形用紙の外観は、六枚の手形用紙の振出人欄に甲観光の社判と銀行印が押捺され、うち三枚の手形用紙には、二〇万円分の印紙が貼付され、右銀行印で消印兼割印が押捺されていたことが認められる。

(五) Bへの報告

(1) Fが手形帳を被告人に渡す旨Bに報告した際のやり取りについて、前記のとおり、B・E両証言では、Bが被告人に渡さないように指示した旨述べられているのに対し、F証言は、被告人への交付を禁じる指示を受けていない旨供述していることから、右各証言の信用性を検討する。

(2) <1>Bが北海道庁を退職した後、被告人から兜建設副社長として迎えられ、兜ビル開発社長を経て、被告人の意向を受けて甲観光の社長に就任したという同人の経歴、この当時もカブトデコム最高顧問として同社常務会に定期的に出席し、カブトデコムグループの運営に関する話し合いに参加していたこと、この当時、拓銀が債権債務の関係の整理を指導するなど甲観光に対する影響力を強めていたとはいえ、未だ甲観光に対する支配は確立されておらず、甲観光はカブトデコムグループに属していたことなどに鑑みれば、Bがカブトデコムグループのオーナーであった被告人がFに甲観光の手形帳の交付を直接指示していることを確認しながら、その指示に背くようにFに命じることは可能性として低いこと、<2>仮にBがそのように判断したのであれば、カブトデコム常務会その他の被告人と会う機会に被告人に真意を質したり、反対意見を述べ、その考えを改めるように進言するなどの対応を取って然るべきであるし、また、本件手形がカブトデコムを介して流通に置かれたと知った時点で、直ちに、Fに対して、自分の指示に反して手形帳を被告人に渡したことを責めるのが極めて自然であるにもかかわらず、いずれの態度も取っていないことなどに照らして、B・E両証言の右供述部分は不自然である。

(3) また、B・E両証言によれば、Bは手形帳の交付を禁じた上で、Fが銀行の金庫に手形帳を保管することを約束したので、その後、数回手形帳の保管の有無を確認したとされているが、Fが個人として使っている銀行の金庫に甲観光の手形帳を保管することの不自然さもさることながら、何度も保管の有無を確認するほどまでにFが被告人に手形帳を交付することを危惧していたのであれば、何故にFから手形帳を回収し、被告人の手に渡ることを完全に防止する手だてを取らなかったのか理解に苦しむし、その点で、Fを信頼していたからこそ保管させたというのであれば、逆に、何度も保管の有無を確認したとするのは不自然である。

(4) さらに、B・E両証言が、BがFに対し、前段で、被告人への手形交付を禁じておきながら、最後に、被告人に渡すときには報告するようになどという交付の可能性を前提とした言葉を発したとしている点は、不自然な脈絡である。

(5) 以上のとおり、B・E両証言の前記供述部分は、不自然不合理であって、信用できないのに対し、F証言は、客観的証拠に照らし、矛盾したり不自然不合理な点はなく、また、当時の被告人とBとの前記関係に照らしても自然で、かつ、前後の脈絡が保たれた内容となっており、信用できる。

(六) F・H・被告人の供述の変遷

(1) ところで、検察官は、捜査段階においては、Fは、「被告人から手形帳を捺印した上で渡してほしいと言われたが、手形振出の原因関係や手形金額について話はなかった」などと供述し、被告人も、「Fに手形を受け取る理由を説明せずに、印鑑を手形帳に押して渡すように指示した」旨供述し、Hも、「被告人から手形帳を取ってくるように指示を受けただけであり、その理由は聞いていない」旨供述していたことを理由に、同人らの公判段階における前記各供述は信用できないと主張するが、捜査段階の右各供述は、Eノートの一一月二日付け部分にFが述べたと推認できる手形金額等が記載されていること、甲観光の手形帳に残っていた七枚の手形用紙のうち、六枚にだけ社判・銀行印の押印がなされたこと、三枚の手形用紙に二〇万円分の印紙が貼付されたことと明らかに矛盾しており、その内容自体が信用性に乏しいばかりでなく、以下のとおり、捜査段階において、公判段階とは異なる供述をしたことについては、合理的な理由があるから、検察官の右主張は採用できない。

(2) Fは、捜査段階において、公判段階とは異なる供述をした経緯について、以下のとおり供述する。

五月末か六月に、センチュリー監査法人からEに甲観光の手形帳の残りについて問い合わせがあり、それへの対応をE・F1公認会計士と協議して被告人に手形帳を預けたという表現を取ることにした。「甲観光手形に関するシナリオ」と題する書面(弁一四七号証)は、甲観光本店が入ったビル九階のF1会計事務所において、F1とEが細部を打ち合わせて作成したものであり、Fは、甲観光副社長室かF1会計事務所で右書面をEから渡された。Fは、以前に甲観光の手形帳をカブトデコムが預かったことがあることを知らなかった。

八月ころ、検察官の二回目か三回目の取調べの直後に、太田勝久弁護士事務所において、Fが「甲観光手形に関するシナリオ」と題する書面に基づいて作成したFの供述内容を書いたメモの写し(弁一四八号証。以下「手書きメモ」という)を被告人に渡し、被告人が手形帳を預かったことにしてほしい旨頼んだところ、被告人は了解してくれた。

検察官の取調べの際に、一一月に被告人の求めに応じて手形帳を預けたが、預ける目的について被告人から具体的な話はなかったと供述した理由は、自分が本件手形の作成に関与していたと検察官に疑われたくなかったし、五月末か六月にEと手形帳をカブトデコムに預けたことにしようと打ち合わせていたからである。

検察官の取調べを受けた都度、被告人・C・H及び弁護人に取調べの内容を報告していたが、都合の悪いところは隠していた。

(3) 右供述部分の信用性を検討するに、<1>カブトデコム本社から押収された「甲観光手形に関するシナリオ」と題する手書きの書面(甲一五五号証三一三頁。以下「甲観光手形に関するシナリオ」という)及びワープロで印刷された弁護人提出の同じ題名の書面(弁一四七号証)の内容は、甲観光が手形を帳簿に記載せず、その存在を失念していた理由を説明するものであり、その説明の対象は監査法人であることが推認できること、<2>Fが、センチュリー監査法人から手形帳についての問い合わせを受け、E・F1公認会計士と協議して「甲観光手形に関するシナリオ」を作成したと述べる時期は、甲観光取締役会で、甲観光の監査法人をセンチュリー監査法人からF1公認会計事務所に変更する決議がなされ、その翌日にVの提案でセンチュリー監査法人に戻す決議がなされた時期とほぼ一致すること、<3>手書きメモ及びこれと同一内容のカブトデコム副社長室内から押収された文書(甲一五二号証一八六頁)は、第一項には、「平成三年一〇月から平成四年四月まで、被告人がカブトデコムグループの手形を集中管理していた」とされており、「甲観光手形に関するシナリオ」ど同じ文面になっているが、第二項以下は、「甲観光手形に関するシナリオ」と異なり、本件手形がB・Fの了承の下に工事代金の支払としてカブトデコムに渡された旨の本件手形の正当性を訴える内容になっており、その説明の対象者は検察官であることが推認できること、<4>「甲観光手形に関するシナリオ」と手書きメモとでは明らかに筆跡が異なることなどの各事実に照らしても、F証言の前記供述部分には、矛盾したり不自然不合理な点はない。

(4) これに対し、検察官は、手書きメモは、被告人からカブトデコムを主体として記載されたものであって、被告人あるいはカブトデコム側が作成したものだと主張する。

しかしながら、カブトデコム副社長室内から押収された「平成五年四月時点における私の認識」と題する手書きの書面(甲一五二号証二四八頁)は、「A社長の指示があれば、E部長も、手形を振りだすことができ、その場合は、私やBに報告されるだけでした。従って、私も、A社長の指示があれば手形を振り出す事ができました。それはB社長も同様だったと思います。」との文面上、主語である「私」がFを指すことが明らかであるところ、右文書とFが自分の筆跡であることを認めている手書きメモは同一の筆跡で記載されていること、被告人に一定の供述をするように働きかける際に、被告人を主体とする文章を作成の上交付するのは不自然でないことからすれば、検察官の右主張は理由がない。

(5) また、甲一六三号証中の六月四日付けセンチュリー監査法人から甲観光本社宛の参照事項と題する書面及び同月一〇日付けセンチュリー監査法人作成の甲観光に対する監査の報告書に「今後使用見込みがないため共信・本店に返却したとされる約束手形用紙のうち支払手形記入帳に記載がないもの(未使用のもの)が次のとおりありますので確認を要します。」との記載があり、「甲観光手形に関するシナリオ」と手形帳が甲観光にない理由付けを異にしていることから、両者の関係が問題になる。

この点に関し、Iは、「四月のセンチュリー監査法人の実査の際、手形帳がないことの指摘を受けて、共信に返したという嘘の説明をした。また、六月初め、FとEのいる甲観光本店六階会議室に呼ばれ、一一月に手形帳をカブトデコムに渡したことについて口止めをされ、そのときFに見せた卓上メモを捨てるように指示された。会議室に呼ばれたのは、拓銀からの出向者に聞かれてはまずいことだからだと理解した」旨の供述をしているところ、甲一六三号証中の前記参照事項と題する書面にIの受領印が押されていること、手形帳を共信に返したとする点で右書面と右供述が符合することなどに照らし、右供述は信用できる。

すると、右I証言及び前記関係証拠から、センチュリー監査法人の監査に関する甲観光側の窓口であったIが手形帳を共信に返却したと四月に報告していたことに対し、六月初めに、センチュリー監査法人からその確認を求められたため、急遽F・Eが甲観光の経営コンサルタントであったF1公認会計士と対応を協議し、「甲観光手形に関するシナリオ」を作成するとともに、取締役会において、監査法人の変更を図り、Iに対しては、一一月に手形帳をカブトデコムに渡したことを口止めしたという事実が推認できる。

よって、F証言の前記供述部分は、甲一六三号証に照らしても、不自然不合理とはいえない。

(なお、三月上旬ころに「甲観光手形に関するシナリオ」を、同月末か四月初めころに弁一四七号証をそれぞれ見せられ、Fにセンチュリー監査法人に聞かれたら話を合わせるように頼まれた旨のH証言は、当時甲観光からセンチュリー監査法人に報告した内容と「甲観光手形に関するシナリオ」の内容が異なることの説明が付かず、不合理であって信用できない。)

(6) ところで、Fから手書きメモを渡され、働きかけを受けた経緯について、当公判廷において、被告人とHは、「八月初めころのFも被告人も検察庁に呼ばれる前の時期に、拓銀との紛争の仮処分の申請の話し合いのために太田勝久弁護士事務所に集まっていた際、Fから手書きメモを渡され、手形を預かったことにしてくれと頼まれ、了解した」(被告人の公判供述)、「八月の中過ぎに、Fが被告人に手書きメモを見せて話しているところにHが入っていったところ、検察庁でこう証言してきたからこのように供述してくれとFに言われて、その書面を見せられた。Hは、Fの要請を受け入れ、検察官の取調べの際に、甲観光の手形帳を以前にも預かったのでそれと同じ意味だと供述した」(H証言)などと、時期についてはやや相違するものの、Fの前記供述部分にほぼ合致する内容の供述をしている。

そこで、右両名の捜査段階の供述を見てみると、被告人は、「一一月ころにFに手形帳を預かるからよこしてくれと言った際に、以前にも安全管理という面から甲観光の手形帳を預かったことがあったので、Fとしては、またオーナーのほうで手形帳を預かるのかといった軽い気持ちでよこしてくれたと思う」旨の供述をしており(乙一一号証)、また、Hも、「一一月ころに被告人から甲観光の手形帳を取ってくるように言われた際に、関連会社が勝手に手形を振り出さないように被告人が関連会社の手形帳を預かって集中管理していたことが何度かあったので、それまでと同じように甲観光の手形帳を預かるのだと考え、それ以上に深く考えなかった」旨述べ(甲三六号証)、いずれも手書きメモに沿って、以前の手形帳管理と関連付けて一一月の手形帳交付を説明しており、両名の前記公判供述を裏付けている。

(7) このように、F証言の前記供述部分は、被告人とHの当公判廷における供述と合致するばかりでなく、検察官調書に残された供述の記載自体によって裏付けられている。

さらに、Fは、捜査段階において、本件手形に関し、被疑者として取調べを受け、本件偽造に限らず背任等の刑事責任を問われかねない状況下にあったのであるから、本件手形に関与した事実を極力隠そうとする動機は、既に不起訴処分とされていた公判段階とは比較にならないほど強く存在したはずであることに鑑みれば、Fが一一月における手形帳の交付の理由は被告人から聞いていない旨供述し、被告人とHにもその方向での供述の依頼をすることは、不自然不合理なこととはいえない。

加えて、F証言の前記供述部分が、前記のとおり、客観的事実と整合することに照らせば、右供述部分は信用することができる。

(8) もっとも、被告人とHがFの依頼を承諾した理由について、被告人とHは、当公判廷において、Fを庇うつもりであり、四月段階での本件手形の成因がきちんとしていたので、手形帳を受け取った一一月の状況については問題にならないと軽い気持ちで判断した旨供述するが、捜査段階において、被告人が弁護人を依頼し、弁護人を通じて検察官に意見書を提出したり、F・C・Hなどカブトデコム関係者の取調べの結果を聴取するなどして起訴されないための手段を尽くしている状況にあったこと、被告人が逮捕・勾留されて起訴が現実のものとなろうとしている段階に至っても前記供述を維持していることに照らせば、Fを庇うという気持ちだけから同月の状況についてFの意向に沿った供述をすることを軽率に承諾したとは考えがたく、むしろ、同月にFがカブトデコムに元請利益を与えるために手形用紙に社判・銀行印を押捺した上で手形帳を交付した点について、Fが背任等に問われ、被告人がその共犯として処罰される可能性があることを危惧し、それを防ぐための供述態様を考慮した上で右依頼を受けたと解するのが自然である。

(9) ところで、Hは、当公判廷において、八月初め、Fがカブトデコム社員N1に作成を依頼した文書(甲一五五号証一一七ないし一一九頁。以下「F依頼文書」という)をHに渡し、右文書に沿った供述をするように依頼し、本件の弁護を主任弁護人に頼みに行った際にも、Fが右文書に沿って主任弁護人に説明をしたため、その説明に基づいて同月五日付け弁護人の意見書(甲一五二号証二二二ないし二三〇頁)が作成された旨供述し、弁護人も、これを裏付ける証拠として、N1の使用していたワープロ機器から印刷した「ディレクトリC…¥」で書き始まる書面(弁一六三号証)に「九三・八・三 二一:五五 平成五年八月二日 F依頼分」というディレクトリがあることを挙げる。

しかしながら、<1>F依頼文書とほぼ同じ時期にFが渡したとされる手書きメモでは、甲観光の代表取締役であるBとFが四月中旬に工事代金を手形で支払うことを承諾したという筋で本件手形の作成を正当化しているのに対し、F依頼文書は、被告人に固有の手形作成権限があることを強調し、同月中旬に被告人がBとFに工事代金を手形でもらうと話したことと五月二八日にBが了解したことの記載がなく、かえって、六月中旬ころ、共信常務室において、Bから「手形は落とす」との発言があったというFの体験していないことが記載されていることからすれば、同時期に同一人物が作成した文書とは考えがたいこと、<2>六〇億円分の手形の原因債権の説明について、F依頼文書では、リゾート洞爺の土木工事を含めた総受注高四八〇億円に手形分諸経費(なお、元請利益の意味で用いられている)六〇億円を上乗せして、総受注高を五四〇億円、元請利益を一七・二パーセント九三億円とし、そこから受領済諸経費三三億円を除いた六〇億円について手形で受け取ったとしているのに対し、右意見書は、四四八億円の工事残代金のうち元請利益分六〇億円を手形で受け取ったとしており、両文書で手形受取の根拠が異なっていること、<3>F依頼文書の結論部分は、「何故、ここに至って告訴されたのか理解できない」などと、文書の主体である被告人が本件で告訴されたことの不当性を訴える内容になっていること、<4>弁一六三号証のディレクトリにおいて、右文書の作成日付けが、被告人が記者会見で無罪の主張をした八月三日になっていること(なお、文書作成時刻は午後九時五五分と表示されているが、ワープロ機器の時刻設定に実際の時刻とのずれがある可能性や、文書の内容を変更しなくても更新として保存すれば、作成日時が更新されることから、右時刻が右文書完成の時刻までも正確に示しているとはいいきれない)、<5>F依頼文書は、カブトデコム社員N1がCに関係する事務処理書類を綴っていた「常務依頼書類」と題するファイルに綴られていたことなどに鑑みれば、被告人が対名的に無罪を訴えるために、被告人・Cを中心とする者によって原稿が作成され、その原稿をFがN1にワープロ化するように依頼したと推認できる。

よって、Hの前記供述部分は信用できない。

(七) 相殺提案と請負代金増額

前記F証言によれば、Fは、一方で、一〇月一五日の相殺の提案に賛同し、また、拓銀が元請利益削減の意向を持っていたことを認識しながら、他方で、代金増額契約を書面で締結していないにもかかわらず、被告人の要請に応じて、カブトデコムに元請利益を得させるために本件手形帳を被告人に交付したことになるが、<1>当時カブトデコムグループの資金管理をしようとしていた拓銀が元請利益削減の意向を示しており、代金増額契約について拓銀の同意を取り付けることは困難な状況にあったこと、<2>Fは、被告人の意向を受け、カブトデコムリゾート事業部長在籍当時にリゾート洞爺工事の責任者として、事業主体に据えた甲観光から工事を受注し、それを下請に発注してカブトデコムにゼネコンとしての元請利益を生み出す経営手法に深く関わり、被告人の甲観光の経営体制強化という方針に従って甲観光に移籍して代表取締役となった後も、平成四年七月ころに被告人・Hとの間でカブトデコムの元請利益確保についての話し合いを行うなど、Fの基本姿勢に変化はなかったのであるから、同人において、一〇月一五日の話し合いで示された甲観光・カブトデコム間の債権債務関係の精算及び元請利益削減という拓銀の意向を無視して、拓銀に内緒でカブトデコムに元請利益を確保させることに応じたとしても不自然ではないこと、<3>Fはリゾート洞爺完成後に代金増額契約を締結するつもりであった旨供述するが、右供述内容は、カブトデコム・甲観光間のリゾート洞爺建築工事契約の約款に、工事の追加・変更、工期の変更、物価の変動等により請負代金額が適当でなくなった場合には、請負人が発注者に対しその増額を求めることができる旨を定めた規定があることや、前記Eノート中に、支払期日が平成六年四月二五日から六か月ごとという記載があり、Fが約一年半から二年半という長期の手形サイトを想定していたことと整合すること、<4>Fが、甲観光の振出手形であれば、リゾート洞爺事業を共同で推進している拓銀としては、甲観光の倒産を避けるためその決済資金を出さざるを得ないだろうという安易な認識を、被告人との間で共有していた可能性を一概に否定できないことなどに照らせば、Fが、一〇月一五日に相殺の提案をしながら、代金増額契約を書面で締結していないまま、被告人の要請に応じて、カブトデコムに元請利益を得させるために本件手形帳を交付したとしても、あながち不合理とはいえない。

(八) 手形帳交付の際の被告人・F間のやり取り

(1) Fは、被告人からの指示内容について、前記のとおり、一〇月末に、被告人から、リゾート洞爺工事の元請利益二〇パーセント程度の約九〇億円を手形でもらうかもしれないという予定を受け、一一月初めに、手形六枚に社判と印鑑を押し、うち三枚に二〇万円の印紙を貼り、手形帳のまま渡すように指示を受けた旨供述している。

そこで、これまで縷々検討してきたことに照らして、右供述部分の信用性を吟味するに、<1>被告人が一〇月一五日に拓銀からの元請利益削減要請を拒否した以降、被告人の意向を受けたHが「カブトデコム側の主張」と題する書面や元請利益を計算する書面等を作成し、カブトデコム役員内部で元請利益確保に関する検討を行っていたこと、<2>同月下旬に、被告人からHにリゾート洞爺工事で元請利益二〇パーセントを確保するためにFと代金増額契約を締結するように指示が出されたこと、<3>Eノート(弁一二七号証)中に、一一月二日付けで「三〇億×〇枚(〇の部分は数字の『3』と『6』が重なったもの)期日六/四・二五~ 六ケ月ごと 三〇億×三枚 期日なし三枚」という記載があり、当日EがFから三〇億くらいの手形が三枚という話を聞いた旨供述していること、<4>甲観光の手形帳に残っていた七枚の手形用紙のうち六枚にのみ社判と銀行印が押され、うち三枚について、Fの指示を受けたEが北海道ビジネスネットワークを通じて購入した六〇万円分の印紙を二〇万円分ずつ貼付したことなどの、客観的な事実経過及び客観的証拠に照らし、矛盾したり格別不自然不合理な点はないこと、その上、前記のとおり、捜査段階の供述との齟齬も合理的な説明が可能であること、さらに、全般的信用性は高くないもののF証言を補完する程度の意味は持っていると評価できるH証言ないし被告人の公判供述とほぼ整合していることからすれば、F証言の前記供述部分の供述内容は信用できるといえる。

(2) なお、被告人は、当公判廷において、一一月に手形帳の交付を受ける際に、九月末の工事出来高とリゾート洞爺工事の元請利益二〇パーセントのいずれで計算しても九〇億円はもらえると考えたと供述するが、一〇月一五日の時点で被告人に示された相殺案書面上の九月末の工事出来高予想は八五億円であったこと、Eノートの一一月二日付け部分に、支払期日の予定として、平成六年四月二五日から六か月ごとと、かなり先の期日が記載されていることなどに照らし、九月末の工事出来高でも考えたとする供述部分は不合理であって信用できない。

4  認定事実

以上より、Fは、一一月上旬ころ、被告人から、リゾート洞爺工事の元請利益二〇パーセントを確保するために、額面合計九〇億円の甲観光の手形をもらいたいので、六枚の手形用紙に社判と銀行印を押捺し、うち三枚に二〇万円分の印紙を貼付して、手形帳ごとHに交付してほしい旨の依頼を受け、Eに指示して、印紙を調達するなどして、被告人の依頼に沿った内容の手形用紙を作成した上で、Hに手形帳ごと交付したことが認められる。

三  甲観光の六枚の手形用紙への捨て印と七枚目の手形用紙への捺印について

1  検察官の主張

関係証拠によれば、Fが甲観光の手形用紙六枚に社判と銀行印を押捺した上で手形帳ごと被告人に交付した後、<1>右手形用紙六枚の欄外に甲観光の実印が押捺されたこと、<2>何も記入してなかった七枚目の手形用紙の振出人欄右横と欄外に同社の実印が押捺されたことが明らかであるが、この点に関し、検察官は、<1>は、一一月中旬ころ、被告人の指示を受けたHから捨て印を求められたFが事情を説明せずにEに印鑑を持ってくるように指示したために、Eが実印を持参し、それを受け取ったFが自ら実印を押捺したものであり、<2>は、四月上旬ころ、被告人がHを通じてFに社名変更後の社判と銀行印の押捺を求めたが、Wがそれらを保管していたため、旧社名の実印を押捺することになったと主張している。また、この点に関し、F・Hは、検察官の右主張とはそれぞれ異なる供述をしている。そこで、以下検討する。

2  F・H証言

FとHは、右実印が押捺された状況について、以下のとおり、供述している。

(一) F証言

一一月中旬ころ、Hから手形用紙に捨て印をほしいという連絡があり、Hが手形帳を持ってきたので、Eに「Hさんがこれから手形を持ってくる。捨て印を押してほしいということなので、印鑑を持ってきてほしい」と指示し、甲観光副社長室でFかEが六枚の手形用紙の欄外に捨て印を押した。その際に、七枚目にもついでに押印してほしいと言われたので、その振出人欄に捺印、欄外に捨て印を押した。甲観光では、通常代表印の捨印はEがやっていたので、Fは銀行印と実印の区別がつかず、押した印鑑は銀行印だと思っていた。

(二) H証言

一一月中旬ころ、被告人から期日などを間違って記入したら困るからという話があり、Hが、六枚の手形に捨て印をもらいに行った。当日かどうかわからないが、Fに事前に連絡を入れて、手形帳ごと持って甲観光副社長室に行き、Fに押してもらった。

三月上旬ころ、被告人から手形に金額を記入する準備のために七枚目にも印鑑をもらってきてくれという指示を受け、甲観光副社長室において、HがFに対し、印紙の貼っていない三枚の手形用紙と同じような形のものにしてくれるように依頼したところ、Fが印鑑を押した。社判も押してもらおうとしたが、「社判はもうないんだ」と言われたので、途中で諦めた。

3  E・I証言

また、EとIは、甲観光の実印・銀行印の管理について、以下のとおり供述している。

(一) E証言

三月一九日の甲観光臨時株主総会の一週間から一〇日前ころ、Fから、兜ビル開発で拓銀からの出向者に会社の印鑑を取られ、元々の役員の自由にならなくなったという事態が起こり、甲観光に拓銀から役員が派遣される前に、実印と銀行印は代表取締役が持っているべきだと言われ、Fにそれらを預けた。FとBとの間でそういう話ができているという認識でいた。

同月下旬に、甲観光の取締役会で、社名変更後の新しい実印をBが、新しい銀行印をWが保管すると決議した。

(二) I証言

三月一五日ころ、拓銀から甲観光に役員として派遣されたWに、甲観光の手形帳・小切手帳はあるかと聞かれた際、小切手帳を見せてこれくらいしか支払はない、手形帳は現在使っていない旨答え、手形帳がカブトデコムに渡っていることは言わなかった。

同月末にIが共信の当座預金口座の名義を新社名に変更する手続をした上で、社名変更前と後の各社判を銀行印とともにWに渡した。

4  客観的証拠の分析と証言の信用性

F・H両証言の各供述部分のうち、被告人の指示を受けたHがFに甲観光の手形用紙六枚に捨て印を押すように求め、Fが銀行印だと思い込んで実印を右各手形用紙に押印したこと、及び、同様に七枚目の手形用紙も印紙の貼付されていない三枚と同じ体裁にするように求められて、Fが銀行印だと思い込んで実印を振出人欄と欄外に押印したことの各事実は、手形番号Ab一二四四四からAb一二四四九までの手形用紙の欄外に甲観光の実印の印影があり、同番号Ab一二四五〇の手形用紙の振出人欄右側と欄外にも同じ印影があるという客観的事実と一致しており、信用できる。

しかるに、右各押捺行為がなされた時期については、<1>一一月中旬ころ、被告人が本件手形を完成させる差し迫った予定は全くなく、その後も具体的な手形行為をせずに二月ころまで単に保管していたこと(Cが記載したノート中で、本件手形に関する記載が初めて出てくるところは、甲一四六号証三三七頁の「工事代金 甲 約手をもらった。~一二〇億 未成工事受入金 六〇〇億×一五%=九〇億」という三月八日ころの記載部分である)、<2>本件手形と同時期に完成された兜ビル開発の手形用紙にも捨て印が押されているが、それらが押されたのは二月以降であること、<3>一一月中旬当時の実印の保管者はEであり、Eが関与しなければ実印を押すことは不可能であるところ、Fから指示を受けたEが、故意にであれ、誤ってであれ、実印と銀行印を間違えることは考えがたいこと、<4>同一機会に振り出された手形として七枚目の手形用紙を利用するのであれば、他の六枚との平仄を合わせるために、同一の社判の押捺を求めるのが合理的であるが、当該用紙には社判が押されていないことから、旧住所の社判が処分された後であったことが推認できるところ、本件手形帳交付直後の同月中旬には旧住所の社判が存在した可能性が高いこと(検察官は、社名変更後の社判と銀行印の押捺を求めたはずだという前提で、その主張を展開しているが、他の六枚と同一の旧住所の社判を求めるのが、被告人の行動としては合理的である)、<5>Eノート中の三月九日付け記載部分の「銀行印F」、同月一〇日付け記載部分の「実印→F副社長」というメモ、及び、それらに裏付けられた前記E証言から、同日ころ、EがFから、兜ビル開発において拓銀からの派遣役員に印鑑を管理されてカブトデコム側の役員の自由にならなくなったので、拓銀から甲観光に役員が派遣される前に実印と銀行印を保管しておく旨指示されて、それらをFに預けたという事実が認められること、<6>六枚の捨て印と七枚目の捺印の各行為を別の機会に行い、いずれも実印の銀行印を間違えて押捺することは可能性として低いことなどとに照らせば、右各押捺行為は、Fが三月一〇日ころEから甲観光の実印を受け取って間もない時期に、一度にまとめて行ったことが推認できる。

よって、検察官の前記主張は、理由がない。

四  四月一三日のカブトデコムから共信へ甲観光の手形を譲渡する話し合いにFが立ち会った状況

1  関係証拠

関係証拠によれば、四月一三日に行われた共信に対するカブトデコム関連の個人・企業の債務の返済に関する話し合いに、Fが同席したことが明らかであるが、Fが右話し合いに出席することになった経緯、当日の話し合いの状況については、検察官提出の共信理事長Z(甲五一、五二号証。不同意部分を除く)・同専務理事O1(甲一四一号証)・同常務理事A1(甲五六号証。不同意部分を除く)・北海道商工観光部商工金融課長P1(甲六二号証)の各検察官調書、検察官がO1との通話内容を録取した電話通信書(甲五五号証)、F証言、H証言、C証言、被告人の捜査段階の供述及び被告人の公判供述等の供述証拠が存在し、客観的証拠としては、Cが記載したノート(甲一四五号証一二三ないし一三二頁)、債務者リスト(甲一五二号証一五〇ないし一六三、二一六頁)等が存在する。

2  Zの供述

Zの検察官調書中の供述は、右P1・A1・O1の各検察官調書及び電話通信書中の供述と整合しており、客観的証拠に照らしても、矛盾したり不自然不合理な点はなく、その供述内容は前後の脈絡を十分に保っていることから、信用性が高いと認められる。右供述内容は、以下のとおりである。

共信は、被告人からの紹介で、カブトデコム株の購入者に対し、購入資金を融資していたが、担保に取ったカブトデコム株が下落したため、平成四年三月ころから被告人に返済を求めるなどしていたが、応じてもらえずにいた。

平成五年四月初めころ、カブトデコム関連の融資がもとで共信が危ないという噂が流れ、監督官庁である北海道からカブトデコムに関連する融資についてリストアップするように指示があったため、共信では、百五、六十億円にのぼる被告人関連の右債務について、被告人に対してこれ以上待てないと返済を迫ろうということになった。

同月一〇日ころ、共信に被告人を呼んで、「もう待ったなしという状況だ。今度こそ返済してもらわなければ困る」と被告人に要求し、被告人は「わかった」と答えた。

同月一二日ころ、Zが、共信理事長室に被告人を呼び、O1・A1とともに「このままきつくなっていったらカブトさんも道連れだよ」などと少し大げさに言って強く返済を迫った。このとき、被告人は「エイペックスとリッチフィールドの手形がある。一方は工事代金、もう一方はホテルエクセレントの代金だ。これを割り引いて返済に充てる」と言った。この時の手形の金額は、三〇億円か六〇億円だと思うが、確定的な数字ではなかった。突然手形の話が出たので、夕方また話し合うことになった。

同日夕方、ホテルドノールで、Z・O1・A1が、被告人・C・Hと会い、手形の金額が六七億五〇〇〇万円と確定したが、どの債務の返済に充てるかまでは詰めなかった。被告人に対し、手形の成因と担保にする会員権に対するカブトデコムの処分権限を明らかにするように求めた。

同月一三日朝、パームヒル[2]伏見で、Z・O1・A1が、被告人・C・H・Fに会い、被告人との間で、だれの債務を返済するか、担保はどうするかなどを話し合った。受取手形で六七億円を返済し、未発行のリゾート洞爺会員権二三〇口を一口二八〇〇万円と評価し合計六四億円分を未返済分の担保に入れる申し入れがあった。甲観光の手形の原因債権が工事代金であること、会員権はカブトデコムが販売用に甲観光から買い取ったものであることについてFに確認したところ、Fはこれを認めた。

3  その他の関係供述

四月一三日の共信・カブトデコム間の話し合いにFが出席することになった経緯及び当日の話し合いの状況に関するF証言、H証言、C証言、被告人の捜査段階の供述及び被告人の公判供述は、以下のとおりである。

(一) F証言

四月一〇日ころ、Fは、甲観光の工事代金支払及び会員権の責任者として被告人からパームヒル[2]伏見に呼ばれ、被告人・C・H及びZ・A1・O1と会った。被告人が、工事代金として甲観光の手形が振り出される旨話した。A1に「そういう工事代金がありますか」と聞かれたので、Fは「あります」と答えた。また、被告人がカブトデコム所有のリゾート洞爺会員権を共信に担保として入れるという話をし、FはA1に「会員権を担保にしていても現金化できないので、できるだけ早く会員権を売ってほしい」と言われた。

(二) H証言

四月一二日午前七時ころ、HとCが被告人からパームヒル[2]伏見に呼び出され、「共信がカブトデコム関連の企業・個人で借りている債務の問題で困っているようなので一緒に行って話を聞いてくれ。自分としては定期預金を取り崩すなどして二〇億円くらいの現金を用意して助けることを考えている」と話した。

同日午前九時か九時半ころ、共信本店理事長室で、被告人・C・HがZ・O1・A1と会談した。共信側は、共信にカブトデコム関連の債権がたくさんあることの噂が立って取付け騒ぎになると共信が潰れ、カブトデコムも潰れると北海道から指導があったことを話した。Zは真っ青な顔をして、首をくくらなければいけなくなると言った。そこで、被告人がゼネコンに回そうと思っていた手形があるので、それを回すという話をしたところ、共信側が大きい額の手形なので、北海道に相談すると回答した。カブトデコム自体や被告人自身の債務でないことはわかっていたが、カブトデコムの将来においての危機を取り除くという意味では仕方ないと思った。

同日午後四時か五時ころ、ホテルドノール二階会議室で同じメンバーで話し合いをした。共信側の誰かが、手形を割り引いて返済に充てることについての北海道の了解がとれたが、手形の金額が大きく、会員権もかなりの数であり、その評価も問題になることから、その詳細について確認しておくように北海道から指導があったことを話したため、翌朝Fを呼んで皆で話し合おうということになった。Cが共信側から債務者の一覧表を受け取り、それを基にして、Hが返済リスト(甲一五二号証二一六頁)を作成した。

同月一三日午前、被告人・C・Hが、Fを呼んで、Z・O1・A1と話し合った。この時点では、甲観光の手形の金額は記入されていなかったが、被告人は債務者リストを見ながら、甲観光と兜ビル開発から額面の入った手形をもらっており、その中から甲観光の二枚と兜ビル開発の四、五枚の手形を合わせると六七億円くらいになるのでこれを支払に充てると言った。Fは、工事代金を手形で支払ったこと、会員権の所有権はカブトデコムにあることを話した。共信側では、Fに手形の額面がいくらかという質問はしなかった。Fは、手形の金額や工事代金額について説明しなかった。共信に返済する金額の総額はまだ決まっていなかったが、返済手段として、手形と会員権を使うことは確定した。

(三) C証言

四月一〇日ころ、被告人がZに、返済として現金一〇億円、手形二〇億円くらいを考えていると伝えていたが、同月一二日朝、共信において、現金六億円、手形三〇億円、会員権二四億円を返済に充ててほしいと言われ、さらに同日中に手形の分が四七億六〇〇〇万円に上がった。同日夜、ホテルドノールにおいて、HとCが、共信から受け取った債務者一覧表を基にして、共信への返済リスト(甲一五二号証二一六頁)を作成した。この時点で、共信は総額一八〇億円を要求し、手形分は六一億円に増えていた。会員権は、一本三五〇〇万円を二二一本分で七七億三七〇〇万円予定していた。

同月一三日、共信に返済する債務・金額と担保差し入れについて、共信と話し合いをした。甲観光の手形と会員権の確認をするために、Fに同席してもらった。被告人が、ゼネコンに回す手形があるから、それを今回の原資に回す、その手形は甲観光の二枚と兜ビル開発の四、五枚だという話をした。ZかA1が、Fに対し、「これはリゾート洞爺の工事代金ということでいいんですね」という趣旨の質問をしたところ、Fは、工事代金の手形である旨答えた。手形の原因債権がリゾート洞爺の工事代金であるという話は出ていたが、工事代金額は話に出なかった。Fが、会員権の支払は終わっているから、権利について懸念することはない旨説明し、Fが会員権を拓銀グループに買い取らせるように動くことを承諾した。

(四) 被告人の捜査段階の供述

四月一〇日土曜日、Zから電話が来て、「大変なことになった。緊急事態なので助けてくれ」と言ってきたので、同日ホテルドノールの会議室で会った。Zは「カブト関連の個人や企業に融資していることで道から厳重な注意を受けた。道からはこれを処理しないと理事長の責任問題だ、発覚すると取付け騒ぎが起きると言われた。自分の責任で共信が潰れれば首を吊らなければならない。何とか助けてくれ」と言ってきた。

同月一二日月曜日、カブトデコム本社でHとCに事情を話すと、二人とも共信が潰れればカブトデコムも潰れるという考えだった。同日午前中に三人で共信に行き、Zらと話し合った。共信は、被告人の保証債務額百二、三十億円を現金で立替払してくれと頼んできたが、カブトデコムには兜ビル開発と甲観光の手形とリゾート洞爺の会員権しかないと説明したところ、共信は、一〇億円以上の手形を割り引けないので、北海道に相談することになった。同日夕方、ホテルドノール会議室で同じメンバーで話し合いをした。共信は、北海道から了解をもらったことを告げ、手形の成因と会員権の所有関係を確認したい旨申し入れてきた。この話し合いで、甲観光と兜ビル開発の手形で返済し、不足分はカブトデコム所有の会員権を担保に入れることで合意した。共信は、返済分の元本と金利などを計算して債務者の一覧表を作ることになった。

同月一三日、甲観光の手形がリゾート洞爺の工事代金としてカブトデコムが受け取れる正当な手形であること、会員権がカブトデコムの所有であることを共信に確認させるために、パームヒル[2]伏見に、リゾート洞爺の担当責任者で一番内容に詳しいFを呼んで、前日と同じメンバーが集まった。Fは「エイペックスリゾートのカブトデコムに対する支払工事代があります」と言った。また、Fは、会員権について、代金を甲観光が受け取っており、既にカブトデコムの所有になっていることを証明してくれた。甲観光の手形をいくら切るかは、共信が返済必要額などを計算し、どのように割り振るかなどを詰めてから具体的な数字を出すことになった。

(五) 被告人の公判供述

四月一〇日、ホテルドノールで、Zから、カブトデコム関連の債務者の借金を被告人とカブトデコムで助けてもらいたいとの話があった。

同月一二日午前七時三〇分ころから、パームヒル[2]伏見の会議室で、C・Hと相談して、カブトデコムの定期預金解約等により二〇億円を用意することに決め、同日午前九時ころ、共信理事長室で、Z・A1・O1に伝えたところ、二〇億円では助からないのでもっと何とかしてほしいと言われ、現金六億円、手形三〇億円、会員権二四億円、合計六〇億円という話を出した。しかし、Zは三〇億円という手形が割り引けるか北海道に相談するとして留保したので、同日午後四時ころ、ホテルドノール会議室で再度Zに会い、北海道の了解を得た旨の回答を受けた。その際の話し合いで、手形分が六〇億円余り、会員権分が約三〇億円に増えた。

同月一三日、Fが同席した共信との話し合いで、共信に渡す手形は工事代金としてカブトデコムが甲観光から受け取ったものであることを説明した。この日、A1が保証債務を履行するだけの当たり前のことだという言い方をしたので、被告人が失礼だと言い合いをした。

4  各供述の信用性と認定事実

(一) 信用性

F・H・C・被告人の右各供述部分は、各場面ごとに話題に上った金額等の点で若干の齟齬はみられるものの、概ね相互に整合しており、前記Zの供述等ともほぼ合致しており、それらの供述証拠によって信用性を支えられている。また、Cが記載したノート(甲一四五号証一二三ないし一三二頁)、債務者リスト(甲一五二号証一五〇ないし一六三、二一六頁)等の客観的証拠に照らしても、明らかに矛盾したり不自然不合理な点はなく、その供述内容は前後の脈絡を十分に保っていることから、信用性が高いと認められる。

もっとも、この点に関し、検察官は、当日の話し合いをCが記載した部分(甲一四五号証一二九頁)に記載された「F」の文字の直後に、「権利について懸念されることはない。キャッシュで支払っている。会員権は一年後に<拓>に買い取らせるようにFが動く」という記載があることを根拠に、当日の話し合いで、Fは会員権の所有権の説明をしただけであって手形の確認はしていない旨主張するが、<1>Cが記載したノートの右記載部分の冒頭の出席者を示す名前の部分に「F」と記載され、その直下の部分に「手形は八月末 九月末 甲×二枚ビル×四~五枚」という記載があることから、Fが同席した場所で、甲観光の手形の話題が出たことは明白であること、<2>債務の返済を迫っている共信にしてみれば、手形による支払が受けられるか否かには、弁済されない債務の担保とするための会員権の権利関係の確認に優るとも劣らない関心を寄せるはずであり、金融機関である共信の理事が、Fが同席しているにもかかわらず、その機会を捉えて手形の成因を聞かないのはあまりにも不合理であること、<3>Zも、Fを当日の話し合いに呼んだのは手形の成因と会員権に対する処分権限の確認のためであった旨供述していることに鑑みると、右主張は採用できない。

(二) 認定事実

前記関係証拠を総合すると、以下の事実が認められる。

Zは、北海道からの指摘を受けて、四月一〇日ころ、被告人に対し、同人の紹介によるカブトデコム株の購入者に対する共信の貸付の返済を求め、同月一二日午前にも、O1・A1とともに、共信理事長室において、H・Cを連れて来店した被告人に対し、前記返済を受けられないと共信が潰れると言って、強く返済を求めたところ、被告人は、定期預金のほか、甲観光と兜ビル関発の手形を割り引いた金銭、リゾート洞爺会員権で返済することを申し出た。共信は、手形の額が大きいことから北海道に相談すると回答した。

同日夕方、ホテルドノールにおいて、Z・O1・A1が、被告人・C・Hと会い、北海道の了解が得られた旨回答し、手形の成因と会員権に対するカブトデコムの処分権限を明らかにするように求めた。

同月一三日、被告人は、甲観光の手形の成因と会員権の所有関係を共信理事の面前でFに確認させるために、同人をパームヒル[2]伏見に呼び出し、同所において、被告人・C・HがF同席の上、Z・O1・A1と会談した。被告人は、共信に対し、甲観光からリゾート洞爺の工事代金として受け取った手形二枚と別に兜ビル開発から受け取った手形四、五枚を割り引いた金銭で六十数億円を返済し、未発行のリゾート洞爺会員権を今回返済しない債務の担保に入れると話した。Fは、共信側から、甲観光の手形は工事代金として振り出したものであること、会員権はカブトデコムが販売用に甲観光から買い取ったものであることの確認を求められ、これを認めた。各手形の券面額や工事代金額についての話は出なかった。

五  五月二八日に被告人が本件手形のコピーをB・Fに見せたときの状況

1  供述内容

同日の右状況に関する供述証拠は、以下のとおりである。

(一) F証言

五月二八日、パームヒル[2]伏見において、B・Fが、被告人・H・Cと会った。被告人がBに「工事代金としてもらったので、きちんと経理処理するように」と指示し、手形のコピーを渡した。Bは、そのコピーを受け取り、「Fさん、これだよ」と言って、Fにコピーを渡した。被告人からBに了解を求めるような話はなかった。この直後、リゾート洞爺のホテルの引渡しのため、ホテルに行った。PとQ1のいずれかが「引渡しは問題がないと被告人から連絡が入った」旨話していた。

(二) B証言

五月二八日、被告人に本件手形のコピーを見せられ、「工事代金が六〇億で、保証料が四億で、こういう具合に手形を発行するから、承諾しろ」「これは私が切った。俺はオーナーであり、資金繰りも全部やっているんで、これは当然認めてくれ」と言われたが、Bは「工事代金は去年の一一月から現金で払われているし、手形で払うということはありえない」「工事代金というのは一切現金払いでしているんだ。こういう手形は私らとしては認めるわけにいかない」と言った。四億円についても、「これはとてもじゃないができませんよ」という話をした。Bは、そういう金は納得できないとして退室した。保証料として四億円を払えという話はそこで初めて聞いた。

(三) C証言

五月二八日午前七時に甲観光のB・Fに来てもらい、被告人が本件手形のコピーを両名に示し、その手形を甲観光から切らせたこと、同日午後一時にN常務にそれを明らかにすること、それで何の問題もなければリゾート洞爺の引渡しをすること、拓銀が兜ビル開発の株の過半数を持つことを条件にして、甲観光の債務に対する被告人・カブトデコムの保証を三月三一日までに外す約束をしたのに、拓銀がそれを破ったこと、拓銀がリゾート洞爺の工事代金を負けろと言っていることなどを話した。被告人が本件手形を伝票処理するように話したところ、FとBは、何ら異議を唱えずに、わかりましたと言った。二人が出て行くと同時に、被告人がPにリゾート洞爺を引き渡すように連絡した。

(四) 被告人の捜査段階の供述

五月二八日、パームヒル[2]伏見会議室で、被告人がBに甲観光の手形のコピーを見せて、「この手形の六〇億はエイペックスの工事代で、四億は保証料ですので、経理処理してください」と言うと、Bは「わかりました」と言い、Fは頷いて承知した。

(五) 被告人の公判供述

五月二八日、パームヒル[2]伏見において、Bに経理処理をしてくださいと言って本件手形のコピーを渡し、手形の白地を補充して裏書きしたことを知らせた。Bは右コピーを横にいたFに渡した。Bは異議を述べなかった。

2  供述の信用性と認定事実

(一) 信用性

(1) 五月二八日の被告人とB・Fとの間の会談に関するB証言の前記供述部分は、<1>当日の話し合いを詳細に記載したCノートに、Bの反論の言葉が一切記載されていないこと、<2>右会談直後にリゾート洞爺のホテル棟引渡しが滞りなく行われたこと、<3>同日以降も、Bは、それまでどおり、カブトデコム常務会に出席し、六月七日にリゾート洞爺の竣工式・オープニングパーティーと甲観光株主総会の開催日について説明したり、同月一四日にリゾート洞爺が無事オープンしたことを報告したりしており、Bが同常務会に欠席するようになったのは同月後半からであったことに照らせば、Bは右話し合いで反論しなかったことはもとより、同日前半までは被告人の本件手形完成に表立って反論していなかったことが推認できるのであって、前記供述内容は、不自然不合理であるばかりでなく、<4>五月二八日に保証料について初めて聞いたとする供述部分は、Bが出席した同月一七日の同常務会において、被告人が保証料を話題に取り上げたという客観的事実(甲一四八号証九、三七頁、甲一五五号証五二三頁)と矛盾しており、これに加えて、前記のとおり、B証言の全体としての信用性が極めて乏しいことなども考慮すると、右供述部分は信用できない。

もっとも、甲観光内部では会談後に本件手形の経理処理が行われなかったという事実が関係証拠から認められるが、当時は拓銀からV・W両名が役員として派遣されており、甲観光の経営が拓銀の影響を受けていたことに照らせば、右事実からBとFが本件手形の存在を容認していなかったことを直ちに推認することはできない。

(2) これに対し、F・C・被告人の前記各供述部分は、客観的証拠に照らし、矛盾したり不自然不合理な点はなく、供述相互で整合していることから、信用性は高いといえる。

(二) 認定事実

以上より、五月二八日に、被告人が本件手形のコピーをB・Fに示し、甲観光内部で経理処理をするように指示した際に、BとFのいずれも本件手形に対する異議を申し立てなかったことが認められる。

六  本件手形の原因債権について

1  弁護人の主張

弁護人は、本件手形のうち額面四億円の手形の原因債権は、甲観光のたくぎん保証に対する預託金返還債務の求償債務に対する被告人個人の保証料であり、六〇億円分の手形の原因債権は、四月二〇日ころの時点でのリゾート洞爺工事残代金約一二七億円の一部である旨主張する。そこで、以下、この点に関する証拠を検討する。

2  供述内容

(一) F証言

三月末か四月初めに、被告人から、リゾート洞爺の工事代金の残額と今後のカブトデコムから下請への支払の予定を聞かれた。四月付け請求までの間にカブトデコムに支払われた三二〇億円を四四八億円から引いて、同月五日時点での工事残代金を一二八億円と算出し、さらに、それ以降の下請への支払分四、五十億円を引いた約八〇億円がカブトデコムの受け取れる工事残代金になると算定した。この約八〇億円の工事残代金の中には平成四年九月末請求分未収金約六九億円が含まれていた。Fは「四月五日に支払った後に、工事残金として百二十数億円残り、以後の下請に対する支払を見込んでも、七、八十億円残る」旨報告した。

同月初め、カブトデコム社長室で、被告人から「工事代金としてあの手形を切るから。金額は六〇億円くらいを予定している」「手形を流通に置く」と言われ、Fはわかりましたと答えた。

三月末か四月ころ、連帯保証をしている以上はたくぎん保証と同じ条件で保証料をもらいたいという申し入れがあった。五三二億円に年〇・四パーセントをかけると二年分で四億二五六〇万円になるが、その端数をカットして四億円でいいと被告人が言ったので、そのまま受け入れた。

(二) H証言

Fが予定原価よりオーバーした三〇ないし三五億円は追加工事として認められるという話をしていたので、請負代金三〇億円(消費税除く)の工事請負契約書案(甲一五五号証三〇九頁)を作って、三月一二日にFに渡した。Fはまだ不確定な要素があるので、工事が終わったときに追加工事契約を結ぼうと言った。

その後、同月下旬から四月初めころ、被告人がFとHに「あと工事代金いくら残っているんだ」と聞いたので、二人で調査して一、二日後に残額が約一三〇億円あり、今後下請に支払うものを除いて約九〇億円あるという報告をしたところ、被告人が「六〇億円くらいであれば問題ないな」という話をしたので、このとき初めて、増額契約を締結した上で元請利益分を手形でもらうのではなく、工事残代金のうちから六〇億円をもらうのだなという認識をした。

(三) C証言

被告人から、四月五日の支払済み後、下請に支払う分を抜いて、九〇億円程度甲観光からもらえる分があるという話を聞いた。本件手形の金額を記載したときに基準とした請負残代金は、同日に四八億円の支払を受けた後の残代金約一二七億円であり、そこから下請に支払う予定であった約四〇億円を引いた約八七億円が、カブトデコムがもらえる金額だった。この八七億円の中には、九月三〇日付け請求書記載の金額が含まれている。リゾート洞爺は五月二八日引渡しであり、代金はこの日に一括して支払ってもらう同時履行の関係にあったが、この時点では契約どおりの現金での支払を受けられないことがはっきりわかっていたことから、工事の進捗状況を考慮の上右金額を七掛けして、六〇億円と算定し、甲観光の資金繰りを考慮して支払期日を七月末や八月末にした。手形の資金繰りは甲観光が市場か拓銀から調達すると思っていたが、具体的な当ては聞いていなかった。残代金の二七億円については、追加工事等を含めて全ての工事が終わった後に精算した上でもう一枚の手形で受け取るつもりだった。

(四) 被告人の捜査段階の供述

三月二七日、被告人とPが拓銀に呼ばれ、役員応接室でN常務とGから、丸三昭和通商・山三西武地産・四菱産業・未来都市開発などのカブトデコムグループ企業がノンバンクへの金利支払に充てる分の融資を今後カブトデコムに対して一切しない旨通告された。N常務に対して、融資を打ち切れば、山三西武地産などは倒産すると言ったが、返事はなかった。拓銀の通告を聞いて、拓銀はカブトデコムに対して、リゾート洞爺の工事代金のうち元請利益分を払わないつもりだと思った。それで、甲観光の手形でリゾート洞爺工事代金を切ろうと考えた。具体的な工事費の詳細はわからず、実際に工事を担当しているリゾート事業部から甲観光副社長に行っていたFが一番詳しいので、Fに計算してもらうことにした。Fが同月末ころに山の手にあったカブトデコム本社に来たときに、「リゾート洞爺の工事代金を、前に預かっている手形を切って、もらうことにするから、三月末で残高を確定してくれ」旨指示した。Fが計算したところ、同月末の工事代金残高が一二七億円であるが、その中にはカブトデコムから下請企業に支払うべき工事原価もいくらかある旨の報告を受けた。この工事原価は約三七億円であったが、当時はF自身も具体的金額まで計算していなかったと思う。被告人は、支払が必要な工事原価があるとしても一二七億円の半分以上が工事原価として支払に回される計算にはならず、カブトデコムの受取分として少なくとも一二七億円の半分以上はあり、六〇億円くらいはリゾート洞爺の工事代金として甲観光の手形を切り、カブトデコムの支払に充てたとしても、最終的な工事代金の精算で下請に払う工事原価に食いこむことはないと考えた。しかし、手形の具体的な金額は決めていなかった。Hに、工事代金として甲観光の手形を切ることを話し、その手形をカブトデコムの年間決算の計算をするとき黒字額を調整するための材料にするよう話していた。

四月中ころ、Pが拓銀へ行き、拓銀の兜ビル開発への経営参加の条件であった、たくぎん保証に対する被告人の保証解除を要求した際、関係書類が地下金庫に入っているので、二週間か一か月はかかるとの回答を受けたという報告を聞いて、拓銀は保証を外す気がないと思った。そこで、拓銀が保証を外さないのなら、たくぎん保証と同率の保証料を甲観光から手形でもらおうと考えた。

同月中ころ、カブトデコム常務会の前にBにカブトデコム社長室にきてもらい、「三月三一日で全部個人保証を外す約束をしたが外してくれないので保証料を手形でもらう。四月一日以降も保証が外れるまでもらいます」と言うと、Bは「わかりました」と言って承知した。文書などは作っていない。このとき、Bに「工事代金として手形をもらっている」と告げた。

(五) 被告人の公判供述

三月末から四月初めにかけて、Fに工事残代金の確定を指示したところ、Fから同月五日の支払を終えて約一二七億円あり、下請に直接払う約四〇億円を引いて約九〇億円が残ると回答を受けた。当時は工事が未完成だったので、七掛けで六〇億円という金額を記入することをFと決めた。

同月初めに、Fにカブトデコムの資金繰りとして商社への支払に手形を使うと指示した。その時点では、六〇億円の手形から、どこにいくら支払うかという内訳は決まっていなかった。

同月初めにFに、同月中ころにBに、拓銀が被告人と約束した個人保証の解除をしないので、甲観光から保証料として五三二億円の年〇・四パーセントの計算で二年一か月分となる四億円を以前に受け取っている手形でもらうと話し、その了解を得た。

3  客観的証拠の分析と供述の信用性

(一) 供述の信用性

右各供述部分は、いずれも、本件手形のうち額面四億円の手形の原因債権は保証料であり、それ以外の額面合計六〇億円の手形の原因債権は、請負代金増額分を含まない元来のリゾート洞爺工事請負契約を前提にした工事残代金の一部とする点で一致している。

しかしながら、右供述内容は、以下の客観的証拠によって認められる事実に照らし、不自然不合理であって信用できない。

(二) 被告人が、F・B・Cらに対し、本件手形について、五月二八日に至るまで一貫して、リゾート洞爺工事請負代金の上積みを前提とした元請利益分として説明していたこと

Cが記載したノートの三月八日ころの記載部分に、被告人の話として「工事代金甲 約手をもらった。~一二〇億 未成工事受入金 六〇〇億×一五%=九〇億」と書かれていること(甲一四六号証三三七頁)、四月八日ころの記載部分に、「甲一六% 七〇億」「約手をもらっている」と書かれていること(甲一四五号証一一三頁)、五月二八日に被告人がパームヒル[2]伏見でB・Fに本件手形のコピーを見せたときの話として、「エイペックス 一〇%<拓>が出資資本金 オーナーの会社と云っていながら、実体は?である。エイペックス工事代金を負けてくれないか 粗利二〇%=四年×五% △三%とした。残六四億について、手形をもらってから(なお、文脈に照らし、「もらって」は「もらった」ないし「もらっている」の誤記の可能性がある)、三/末の決算には上げて、五月には」「甲の工事 粗利 一六・九% 六四億」「工事代金六〇〇億 一七%=一〇〇億 一〇〇-三五=(約)六四億」などと記載されており(同号証二五二ないし二五四頁)、被告人が請負契約代金額を六〇〇億円に上乗せした上で、そこに元請利益率一七パーセントを掛けた約一〇〇億円から既得利益分三五億円を引いた残りの元請利益として六四億円分の手形を受け取った旨説明したと推認できること、さらに、前記のとおり、一一月の手形帳受領の際にも、Fに、リゾート洞爺工事の元請利益分として、請負代金を増額しなければ存在しないはずの約九〇億円という金額を提示していたことの各事実に照らせば、被告人は、カブトデコム役員のC及び甲観光役員のF・Bに対し、一貫して、リゾート洞爺工事請負代金の上乗せを前提とした元請利益分を手形で受け取ると説明していたことが認められる。

(三) 本件手形完成前にカブトデコム内部で元請利益確保のシミュレーションを繰り返し行い、Fとの間で書面による代金増額契約の締結を目指していたこと

(1) 二月一七日ころのCが記載したノート中に、業績の見通しとして「甲の工事利益を認めさせる。(二〇%)=三〇億の利益 四九〇億(TOYA工事) 一三%-六% オーナー;三〇億の決算はやるつもり」「甲から適正利益一五%」(甲一五五号証五四七、五四九頁)と記載された部分は、国際証券からカブトデコムへの同月一五日付けファックス(同号証五四三ないし五四六頁)中の平成五年三月通期の経営利益三〇億円が実現可能かという業績見通しについての質問と内容的に対応していることから、右ファックスに対する回答をカブトデコム内部で検討したものと推認できる。

そして、三月九日から同月一〇日にかけて、甲観光のLからHへ、リゾート洞爺工事の原価一覧表、平成四、五年度の下請への支払予定表等が送られたこと(同号証三三五ないし三六二頁)、同月九日付けリゾート洞爺工事原価・元請利益一覧表の右下にHが記載したメモ(同号証三二七頁)で、最終元請利益率を一五パーセントと仮定して、二一億七六〇〇万円の追加契約が必要と分析していること、右計算はCが被告人の話をメモした「甲から適正利益一五%」という前記記載と整合することから、Hが被告人の指示を受けて、元請利益率を一五パーセントとするための追加契約額を算定したことが推認できる。

(2) また、右追加契約分二一億七六〇〇万円を約二二億円として、「二二億追加変更増する<税含みで二、二六六、〇〇〇千円>」と記載したHのメモ(同号証三二八頁)、及び、右税込み金額を基に、四月以降のカブトデコム受取分として、実際の原価払い分は現金でもらうが、既契約の元請利益の未収入分と追加契約分二二億六六〇〇万円は現金でなくてもよい旨を記載したHのメモ(同号証三三〇頁)から、Hは、元請利益分を手形で受け取ることを考えていたことが推認できる。

(3) さらに、前記一覧表の右上にHが記載したメモ(同号証三二七頁)に元請利益率一六・五パーセントと仮定して、追加契約分を約三〇億円と算出した記載があること、三月一二日付け「リゾート洞爺工事状況について」と題する書面(同号証三一七頁)に、原価ゼロの追加予定工事金額として三〇億円を計上し、元請利益を一六・四パーセント約八二億円と記載していること、リゾート洞爺一次一期工事のうちホテル建築追加その3工事を請負代金額三〇億円(消費税除く)、工期一二月一日から平成五年一〇月三一日まででカブトデコムが甲観光から請け負う内容の一二月一〇日付け契約書として印刷された書類が保管されていたこと(同号証三〇九頁)、三月二五日付け「第二二期損益見通し」(同号証一二一頁)及び「洞爺リゾート工事売上計画(案)」(同号証一二二ないし一二四頁)において、三〇億円の増額契約をする場合のシミュレーションが記載されていることから、この間、Hは、追加工事名目で三〇億円の代金増額契約を甲観光との間で締結しようとしていたことが推認できる。

(なお、Hは、右各書面について、Hが被告人の意向と関係なく、元請利益のシミュレーションをしたものである旨供述しているが、前記のとおり、Hが元請利益率の計算を始めたのは、被告人の指示に基づいてであって、右供述は信用できず、Hの右各書面作成は、被告人の意思に基づくものと認められる。)

(4) そして、さらに、「当社は、今期決期において下記のとおり処理しております」という記載から、四月以降に作成されたことが明らかな「第二二期(平成五年三月期)決算について」と題する印刷書面に、リゾート洞爺工事の総請負額に右代金増額分としていた三〇億円を足して五〇〇億二〇〇〇万円とし、最終利益予定八〇億二〇〇〇万円のうち、既計上額三〇億二〇〇〇万円・残額五〇億円で、元請利益率一六パーセントと計上していること(甲一五二号証三〇〇頁)、資金が必要な事項として「利払い停止に伴う既経過分利息」と記載されていることから、グループ会社のノンバンクに対する利息支払分を融資しないと拓銀から通告された三月末以降にカブトデコム内部で作成されたことが明らかな「当面する懸案事項の解決案について」と題する書面(甲一四八号証一八六ないし一八八、一九五ないし一九七頁、甲一五五号証四二四ないし四二六頁)に、「APEX、EXホテルの工事、売却代金につき、可能な限り上限に近ずけ捻出する。概算でそれぞれ五〇億、三〇億の八〇億」と記載されていることから、四月以降も、総受注高を増額した上で、元請利益分を手形で受け取るという方針に変わりはなかったことが推認できる。

(四) 保証料として四億円の手形を受け取った旨の供述内容と整合しない事実

保証料分を手形で受領するならば、受取人は保証していた被告人個人になるはずであるが、額面四億円の手形にはカブトデコムが受取人として記載されている。

また、Cが記載したノートの四月一二日ころの記載部分に、「たくぎん保証五六二億 〇・六% 〇・四% 弁護士と相談」と記載されていることから(甲一四五号証一二四頁)、被告人が、当公判廷において、Fに保証料四億円を手形でもらうと話した時期と述べている同月初めには、保証料算定の利率さえも固まっていなかったことが認められる。

さらに、五月一七日のカブトデコム常務会における被告人の発言内容を記載した常務会議事録(甲一四八号証九頁)・R1メモ要約(同号証三七頁)・Cのメモ(甲一五五号証五二三頁)から、額面四億円の手形が共信に渡された四月二二日ころより後に開催された五月一七日の同常務会において、被告人がリゾート洞爺会員権に関する保証が外れない場合には保証料をもらうことを検討する旨発言していたことが認められる。

4  認定事実

右(二)ないし(四)の事実を総合すると、本件手形は、いずれもリゾート洞爺工事の元請利益分を確保するために完成されたことが認められる。

この点において、本件手形の原因債権に関する弁護人の前記主張はそのまま採用できない。

5  検察官の主張に対する判断

検察官は、元来のリゾート洞爺工事請負契約代金総額約四四八億円を前提とする限り、被告人が一一月にFに告げた元請利益約九〇億円や四月に元請利益を確保するために本件手形に記入した額面合計六四億円といった数字は、その根拠を全くもっていないことになるから、このことからしても、Fには、手形を振り出す意思はなく、したがって、被告人が本件手形を完成させることを許容していたはずはない旨主張するが、以下の理由により、右主張は採用できない。

まず、<1>金融を得る目的で振り出される融通手形のように、商取引に裏付けられていない、言い換えれば、原因債権の存在をおよそ前提としていない手形も現に取引社会には存在するし、また、<2>手形は無因証券であるから、振出人に手形振出権限がありさえすれば、原因債権がなくても、手形を振り出したり、他人に手形を完成させる権限を付与すること自体はもとより可能である。

そして、<3>Fが、被告人の意向を受けて、カブトデコムに利益をもたらすリゾート洞爺事業の責任者として働き、同社リゾート事業部長から甲観光代表取締役副社長に移籍した後も、右事業の責任者としての地位は基本的に変わらなかったこと、<4>リゾート洞爺工事請負契約の約款には、工事の追加・変更、工期の変更、物価の変動等により請負代金額が適当でなくなった場合には、請負人が発注者に対しその増額を求めることができる旨の定めがあったこと、<5>平成四年七月ころに既に元請利益上乗せのための話し合いをFと被告人がしていたことなどに照らせば、たとえ甲観光への影響力を強めていた拓銀の意向を正面から無視できないなどの理由で元請利益の増額契約を正式に締結できなかったとしても、内密に口頭で合意したり、将来的な増額契約締結を見込んだり、あるいは、カブトデコムの資金繰りのために工事代金名目で実質的に貸し付けるなどとして、Fがカブトデコムに手形を振り出す可能性は少なからず存在するのであるから、代金増額契約を締結しない限り元請利益分は六四億円に満たなかったという事実から、Fには、本件手形を振り出す意思はなく、被告人による本件手形の完成を許容してもいなかったという事実を、直ちに推認することは相当でない。

よって、検察官の前記主張は採用できない。

七  Fが本件手形完成を許容していたか否かの判断

これまで、当裁判所が認定してきた事実を前提にして、Fが被告人による本件手形の完成を許容していたか否かを検討する。

本件では、<1>被告人からの指示を受けて、甲観光の手形振出権限を有する代表取締役Fが、同社の手形振出業務に携わっていたEとともに、一一月二日に、甲観光が手形勘定取引のため共信から交付されていた支払地・支払場所等が予め印刷されている正規の手形用紙六枚の振出人欄に、同社の社判と銀行印を押捺した上、うち三枚について各二〇万円分の印紙を貼付し、その印紙に右銀行印で消印を押していること、<2>Fは、右手形帳交付直前の一〇月下旬ころ、被告人からの指示を受けたHとの間で、カブトデコムがリゾート洞爺の元請利益二〇パーセントを確保するために代金増額契約を締結したい旨の申し入れを受けての話し合いをしており、被告人からも直接、元請利益二〇パーセントを手形でもらいたい旨の話を聞いていたこと、<3>Fは、記名押印した前記手形用紙を含む手形帳を被告人に交付することを、甲観光代表取締役社長Bに報告したこと、<4>Fは、特に手形完成を禁止したり、甲観光役員の許可を条件とすることなく、Hを通じて被告人に右手形帳を渡したこと、<5>捨て印は手形用紙に手形要件を記入する際の誤記に備えるものであって、それを押捺することは手形完成に向けた行為の一環と認められるところ、Fは、三月ころ、被告人の指示を受けたHから捨て印を求められて、甲観光の実印を銀行印と思い込んで捨て印を押す意思で押捺したこと(仮に後日手形を被告人に完成させるつもりがなかったのであれば、捨て印を押す必要は全くない)、<6>四月一三日の共信とカブトデコムとの話し合いにFが同席し、Fが被告人に渡した甲観光の手形用紙を使い手形として完成させたものが共信に裏書交付されることを知りながら、カブトデコムに支払うべき工事代金を手形振出原因として存在することの確認を共信理事に求められた際、これを認めていること、<7>五月二八日に、被告人から甲観光で本件手形の経理処理をするように依頼された際に、Fは全く反論していないこと、<8>その後も、Fは、拓銀からの派遣役員の調査に対し、Iに一一月の手形帳交付の件について口止めをしたり、被告人との間で、Bを社長から降ろし、Fが社長に就任するための密談をするなどしていた一方、七月に甲観光役員を辞任するに至るまで、本件手形を被告人が完成させたことに対して、一切の異議を申し立てていないことなどの各事実が認められ、これらを総合的に判断すれば、Fとしては、甲観光の手形用紙六枚に社判と銀行印を押捺した上で手形帳ごと被告人に交付した一一月上旬の時点で、被告人が右手形用紙を用いて甲観光の手形として完成の上これらを流通に置くことを許容しており、その後もFの右意思は変わらなかったことを認定できる。

そして、Fが被告人による完成を許容していた手形の内容については、<1>手形帳交付前に、被告人がFにリゾート洞爺工事の元請利益二〇パーセントを確保したい旨の意向を伝えており、Fは被告人の手形帳受領の意図が二〇パーセントと元請利益分の確保にあると認識していたこと、<2>手形帳を被告人に交付する際に、FがEに、三〇億円くらいの手形が三枚と話し、その券面額に対応する印紙を貼付させたこと、<3>Fが、三月ころ、その印紙が貼付してある手形用紙すべてに捨て印を押したこと、<4>金額以外の記載事項については具体的な限定をしていないことの各事実から、券面額合計九〇億円の枠内で被告人が算定する元請利益分の記入を許容し、具体的な金額や支払期日・受取人・振出人の記載については被告人の裁量に委ねる内容であったことが認められる。

さらに、本件手形に記載された券面額合計が右<4>の枠内に収まっていること、Fが本件手形の具体的な記載内容を知った後に、被告人に一切の異議を唱えていないことに照らせば、本件手形はFの許容した範囲内で完成されたことが認められる。

第五  結論

これまで縷々検討したとおり、本件手形を作成する権限を有するFが被告人による本件手形の完成を許容していたことが認められるから、結局、被告人には、手形作成名義の冒用はなく、本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(検察官 佐藤美由紀、木下武彦)

(弁護人 中山博之(主任)・村岡啓一・尾崎英雄・中村誠也・太田勝久)

(求刑 懲役五年)

平成九年六月一三日

札幌地方裁判所刑事第二部

(裁判長裁判官 矢村 宏 裁判官 手塚 稔 裁判官 大嶋洋志)

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